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J・ライフのこと

1983年の年末頃のことだったろうか、ある雑誌を読んでいたところ、J・ライフという会社が「マルチ訪問販売」という手法で、羽毛ふとんを中心に大躍進しているという。同年2月期に400億円を売り上げ、1984年には1000億を越えそうな勢いという。私はこの記事に釘づけになった。というのも、その社長が何と、あの倒産したJ・チェーン社長のY氏なのだ。私と同年齢ながら、1000店を越えるJ・チェーンを短期間にこしらえあげたが、マスコミや世間の「マルチ商法」の烙印をおされてもろくも崩れてしまった偶像……そんな印象だったが、7年後に不死鳥のようによみがえっていたのだ。以前の轍は踏むまいと、マルチの糾弾を受けないようにたくみに仕組みを変えて、これもわずかの期間にJ・チェーンの数倍規模の会社に盛り上げたようだった。

当社がJ・チェーンから2400万円ほどの不渡手形をつかまされるはめになったことは、以前つづった。ただし、当初不渡りを受けたのはJ・総業という系列会社で、その後J・チェーンに肩代わりしてもらったわけだが、その際、経理担当者に何度も交渉し、毎月100万円ずつ24回(24枚)の手形に差し替え、それぞれにY社長の個人保証を求めた。ノーの一点張りだったが、先方も根負けしたのか、ついに受け入れてくれた。株式会社というのは会社が倒産した場合、社長の責任はなくなるが、個人保証をした場合は、個人に支払い能力がある限り支払いに応じなくてはならない。

手形が不渡りになると、手形交換所から支払い不能の印が押されてもどってくる。そのつど銀行へ手数料を支払わなくてはならないが、当社はダメモトのつもりで24枚の不渡手形を保管していた。J・ライフの大躍進で、Y社長のふところは潤っているはずだ。そこで当社は、弁護士と相談し、正式に裁判所へ手形訴訟をおこしたのである。

投稿日:2005年12月01日(木) 11:40

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)