今回のツアー 「スペイン・ポルトガル旅行」 わがベスト10 「20年前に感動したフラメンコ」 に関連し、1988年11月末に体験した、初めての海外旅行について記したいと思います。
いずみ書房を創業してから12年目、念願だった英国レディバード社とタイアップが実現して、レディバードブックスの日本語版 「レディバード図書館」(27巻・別巻7) を皮切りに、初心者向け英語入門シリーズ 「キーワード英語教室」(12巻)、「レディバードブックス特選100点セット」 を刊行しました。でも、思ったほど売上が伸びずに苦戦していたため、思い切って 「ロンドン・ローマ・マドリッド観光とレディバード社工場見学コンテスト」 と銘打った、6か月間の売上を競うコンテストを実施することにしました。そして、優秀な成績を残した営業マン7名を引き連れて、初めての海外旅行へ旅立つことになりました。
今ならば、大手の旅行会社の主催する添乗員付きのツアーに乗って、何の苦労もなく行けたことでしょう。ところが、20年前にはそのようなツアーを実施しているところはなく、しかたなく国内旅行で世話になっていた地元の小さな旅行会社に、航空券の手配や現地ガイドのアレンジを依頼し、私が添乗員役をになう他ありませんでした。
当時、ヨーロッパへの直行便はなく、アラスカのアンカレッジを経由し、北極の上空を飛んで行くのが最短航路でした。午前中に成田を立ち、アンカレッジで給油をして、翌朝6時にロンドンのヒースロー空港に到着する予定です。ところが、何たることでしょう。アンカレッジに初雪が降って、給油だけのはずが、空港の待合室に3時間も足止めされてしまいました。さらに悪いことに、ロンドンが濃霧のためなかなか降りられないというのです。20〜30分も上空を旋回していたようですが、ようやく9時頃到着することができ、入国手続きを済ますことができました。
でも、ちょっと様子が変なのです。待ってくれているはずの現地ガイドがいません。問い合わせてみると、到着したのがロンドンではなく、「バーミンガム」 だというではありませんか。航空会社の 「英国航空」(ブリティッシュ・エアウェイ BA) では、ロンドンの霧が深すぎて降りられず、急遽空港をバーミンガムに変更して着陸、バスで乗客全員をロンドンのヒースロー空港へ送迎することにしたようなのです。みんなに午前中に予定していたロンドン市内観光は中止せざるをえなくなったこと、バスでロンドンへ向かうことを伝えましたが、なかなか空港につきません。後からわかったことですが、バーミンガムはロンドンの北西150km、バスで3時間近くもかかるところにありました。
結局ヒースロー空港にバスが到着したのは、1時近くになっていました。ところが、さんざん探し回っても現地ガイドが見当たりません。困ってしまって、緊急の連絡先といわれていたところへ電話したところ、ガイドは 「ターミナル4」 に待機しているはずだといいます。降ろされたのは 「ターミナル2」 だったのです。 しかたなく、みんなで手分けしながら探しましたが、「ターミナル1・3」 はあるものの見当たりません。よくよく空港の人に聞いてみると、5kmも離れたところにあるといいます。そこで皆を待たせ、私一人タクシーをつかまえて 「ターミナル4」 をめざしました。とにかく大きな飛行場です。現地ガイドを見つけるのは至難のわざ。BAのスタッフに尋ねたところ、もしかしたらバスが待機しているかもしれないというので、バスの待機場所に向かいました。小さなバスが数台ありましたが、外に出ていたドライバーらしき人に尋ねたところ、「アイト?」 といいます。Eight? つまり 「8人か」 という意味だとわかり、「イェス、Yes」 と答えると、「OK. Wait a moment!」 といって、ガイドを探しに飛び出していってくれました。
「ああ、地獄に仏」。こうして現地ガイドと出会え、みんなをバスに乗せることができたのは、すでに午後3時をまわっていました。(以下次回)