間もなく裁判所から、公判の案内があった。この件に関しては、当時の樫村社長にすべて担当してもらった。争いごとに関しては、あまり情実にとらわれず、冷静沈着であるべきと考えたためである。第1回目の公判にJ・ライフのY社長は弁護士を伴って出廷し、手形に個人保証をした覚えがないこと、J・チェーンの経理担当がY社長に無断で印鑑を押したと主張したという。
裁判は長期戦となり、第2回目以降Y社長は出廷することはなく、代理人が最初の主張を繰り返すのみだった。公判はその後4、5回行われたが決着がつかず、最終的に示談を示唆されて、お互いの弁護士の話し合いのもとで、1千万円近くの賠償額が決められた。
その後、J・ライフのY社長の脱税や違法な政治資金がマスコミに大きく報道されるようになったばかりか、「マルチまがい商法」と決め付けられ、糾弾されるようになった。まもなく、元中部管区の警察局長だった人に社長が変わり、Y氏は表舞台から消えていったようだ。
いま思い起こせば、当社にとってY氏との出会いは、良くも悪くも大きな転機になった。創業後はじめて出版した「ポケット絵本」(せかい童話図書館)を、J・チェーンが取り扱ってくれなかったなら、全40巻が完成したとしても、それより2、3年後のことだったろう。J・チェーンの加盟店だった人たちの出会いや、以後10年以上も当社の販売を支えてくれたフランチャイズ・システムによる組織づくりを思いつくこともなかったはずだ。当時の2千4百万円は、今のお金でいえば、5〜6千万円以上にも匹敵する大負債をこうむることになりはしたが、今回の示談により、その負債のうち1千万円近くを取り戻すことができたのだ。そして、思いがけないこの資金により、念願の英国レディバード社「レディバード・ブックス」の日本語版「レディバード図書館」の刊行につなげることができたのである。