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全国拠点長会の席上で

みんなのおんがくかい」が完成した1983年当時、当社の販売組織は、依然としてフランチャイズシステムによる支社や営業所を全国に設置し、そこから個々の家庭へ訪問販売する手法を中心に展開していた。当時、いずみ書房が拠点をおいていた都市は、北から盛岡、秋田、仙台、福島、宇都宮、前橋、浦和、三鷹、八王子、千葉、木更津、川崎、横浜、新潟、長野、上田、松本、飯田、諏訪、静岡、大阪、宇部の各市であった。

大きな市街地に拠点を置き、採算をとりながら、長い間それを維持していくことは容易なことではない。そのため、個々の営業マンへは、目標をしっかり持って日々の活動ができるように、6ヶ月間の長期販売コンテストを実施していた。そして、「いずみ通信」という社内報を毎月発行し、コンテストの速報や、さまざまな営業活動に役立つ情報を詳細に伝えた。さらに、コンテストの表彰をかねて、6ヶ月ごとに全国拠点長会を温泉地でひらき、会社の方針を伝えたり、拠点長の目標管理や決起大会、夜は懇親会を催し、モチベーションを長期間保つための工夫をこらしたものである。

1983年の7月に開催した拠点長会の席上で、私は「みんなのおんがくかい」を完成させたことにより、これまで刊行した「いずみ文庫」(ポケット絵本)の4シリーズと「みんなのおんがくかい」を、さまざまに組み合わせをすることを提案した。これまでは単品売りが中心だった販売形態から、2シリーズ、3シリーズと組み合わせて販売することにより、売上倍増を願ったわけである。そのためには顧客に、どういう話をしてほしいかの提案を、拠点長の前で語った。

次回から何回かにわたり、その内容を記述することにしよう。

投稿日:2005年11月17日(木) 11:27

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)