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日本の実情を世界に広める意義

アメリカやヨーロッパの新聞や雑誌には、日本に関する記述が10年前とは比較にならない程増えつづけています。しかし、その多くは日本経済の驚異的発展とか悲惨な公害とかに重点がおかれていて、日本の全体像を正しく伝えるものが少ないのが実情です。そのため「安い賃金でモーレツに働き、公害防止に金を惜しみ、社会福祉もいきとどいていない。おまけに国の防衛はアメリカにおんぶにダッコで軍事費に金を使わないから、安い値段で輸出できるのだ」 という考えが広く行きわたったりするのでしょう。

国際理解ということは、ほんとうにむずかしいことです。良し悪しの問題でなく、日本人は日本という小さな島に日本民族という単一民族が住み、他の民族と混住したことがないために、他民族、他人種とのコミュニケーションが不得手だといわれています。おまけに外国語が不得手で、自己主張が控え目です。こんなところにも誤解されやすい日本の側面があるのでしょう。さらにいうなら、日本語はまだまだ世界でも特殊な言語です。日本を理解してもらうためには、英語やフランス語圏の人たちより、もっともっと多くの努力をしなくてはならない大きな重荷を負わされている、といっても過言ではありません。

資源のない日本は、外国とのおつきあいなしには一日として生きていけません。なのに、日本と世界との間のコミュニケーションギャップは相当深いといってよいでしょう。「子どもワールド図書館」を一人でも多くのお客様に紹介してゆく仕事は、いいかえるならそのギャップを埋める作業であり、日本と国際社会との相互理解の橋渡しであり、大きくいうなら世界平和を実現させるための第一歩なのだと思います。

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1980年の刊行当時、以上のような文を書いて、営業マンにハッパをかけて拡売につとめ、1984年までに4刷まで版を重ねた。ところが以降は売れ行きが減速してしまった。その理由は、世の中の変化があまりにも早く、さまざまな箇所の改訂を余儀なくされたからだ。文章を変えるだけならさほど手間はかからないが、多少でもイラストを書き直すとなると、新刊並みの制作費が発生することになる。

日本の児童出版社がこの種の文化地理的な出版物を刊行したがらないのは、ロングセラーになりうる可能性がなく、リスクがあまりに大きいからだろう。その結果、子ども向けに世界の国々を紹介したものはほとんどなく、書店の店頭をにぎわすのは大人向けの観光ガイド、しかも多くの人に人気のある国や都市や地域にしぼりこんだものだけになってしまうのだ。何とも残念なことである。

なお、9月22日のブログに「子どもワールド図書館」をいずみ書房のホームページから削除したとお知らせしましたが、このたび特価15,000円(定価35,000円)として復活させました。

投稿日:2005年10月03日(月) 10:23

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)