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松引き

「おもしろ古典落語」の117回目は、『松引(まつひ)き』というお笑いの一席をお楽しみください。

ある江戸屋敷に、殿さまがそそっかしくて、家老の三太夫というのが殿さまに輪をかけてそそっかしいというのがありました。「同類、相求む」といいますが、この三太夫という人が、殿さまの大のお気に入りで、いつも側にいます。

「これ、三太夫」「ははっ」「ほかでもないが、この庭の築山のわきにある赤松じゃが、だいぶ繁って月見のじゃまになっていかん。泉水のそばに引きたいが、どうであろうか」「おそれながら、あれはご先代さまご秘蔵の松でございます。あれを引きまして、もしも枯れるようなことがありますと、ご先代さまを枯らすようなものではないかと心得ます」といさめますが、殿さまは、いま屋敷に入っている植木屋に直接聞いてみたいと、いいはります。

そこに呼ばれたのが代表格の八五郎。「おお、そちが八五郎か。苦しゅうない、前へ出よ」「へぇっ」「あの庭の築山のわきにある松を、泉水のそばに引きたいが、引いて枯れるか枯れぬか、そちの考えを申せ」八五郎が答えようとすると、三太夫があわてて、「こりゃ八五郎、じかに申し上げるはおそれ多い、手前がとりついでつかわす」「それにはおよばん。じかに申せ」「ははっ、これ八五郎。ていねいに申し上げろ。よいか、『まず言葉の頭には [お] の字をつけ、終わりには [たてまつる] をつければ、自然にていねいになる」「[お]をつけて、たてまつりゃいいんですね。へぇ、お申し上げたてまつります。お築山のお松さまを、お泉水さまのおそばへ、お引きたてまつりまして、枯れるか枯れぬかといことでございますが、そいつはそのう、うまくお松さまを、手前どもでお掘りたてまつりまして、お引きたてまつれば、お枯れあそばす気づかいは、ござりたてまつりません。恐惶謹言(きょうこうきんげん)、お稲荷さんでござんす」「なんだか、よくわからんな。八五郎とやら、友だちに語るように、えんりょなくもうしてみよ」

「ありがてぇ、じゃ、たてまつりぬきで、ざっくばらんにやっつけます」「これ、八五郎、なんと申す」「三太夫、口だしいたすな」「へい、じつは、あの松でござんすが、こっちも商売だ。動かして枯らすようなこたぁいたしません。ひと月も前から、油っかすの五、六升を入れまして、小太いところところを、するめで巻きつけて、それで引いていきゃ、だいじょうぶ、けっして枯らすようなことはございません」「そうか、ようわかった」と殿さまは大喜びで、植木屋たちに酒をふるまいました。

三太夫は、にが虫をかみつぶしたように、このありさまをながめていましたが、お屋敷内の住まいから、急ぎのおむかえがまいりました。「急な用向きというから、もどったが、なにごとだ」「お国おもてから飛脚で、ご書面がとどきました」「…手紙とはこれか、おかしいな、なにも書いてないぞ」「だんなさま、そりゃ裏で」「道理でわからんと思った。なになに、『お国表において、殿さまの姉上さまご死去あそばされ……』こりゃ、一大事、すぐに殿さまへお知らせせねば」とあわてて御前へ。

「なに? 姉上ご死去? 知らぬこととはいいながら、酒宴など催して済まぬことをいたした。余はすぐさま、喪に服すぞ。して、ご死去はいつなんどきであったな」「はっ?……とり急ぎましたので、そこまで読まずに、あわてて出てまいりました」「そこつ者めが。すぐ見てまいれ」「ははっ、しばしお待ちを」というわけで、そそっかしい人があわてて家にとんぼがえりしますと、書状が自分の懐に入っているのも気がつきません。やっと落ち着いて読みなおすと「……お国表において、ご貴殿姉上さま……?」自分の姉が死んだのを殿と読み間違えたのでした。

「もはやいたしかたない。この上は、いさぎよく切腹して、おわびするほかあるまい」「旦那さま、あわててご切腹あそばして、犬死になるようなことがあってはいけません。あわてていたのでまちがいましたと、殿さまにほんとうのことを申し上げて、その上で、ご切腹なり、お手討ちとかになるのなら、いたしかたございません。それからでも遅くはなかろうと存じます」家来に説得されて、しおしおと、御前へまかり出ました。

「だまれ、だまれ! いかにそこつとは申せ、貴殿と殿を読み違えて相すむと思うか」「とりかえしのつかぬことをいたしました。この上はお手討ちなり切腹なり、おおせつけられまするよう」「手討ちにいたすも刀のけがれじゃ、切腹を申しつける」「ははぁ、ありがたき幸せ」三太夫は、すっかり覚悟をきめ、あわや腹を切ろうとすると、「ああ、三太夫、待て、待て。切腹には及ばんぞ」「はっ?」

「よく考えたら、余に姉はなかった」


「5月15日にあった主なできごと」

1932年 5・15事件…海軍の若い将校や右翼の若者たちが、政党や財閥をたおし、軍を中心にした国家権力の強い国をうちたてることをくわだて、首相官邸や警視庁などを襲撃、犬養毅首相を射殺する事件が起こりました。この惨劇により、14年間続いた政党内閣は断絶し、わが国はファッシズムへの道をまっしぐらに進むことになります。

1972年 沖縄本土復帰…第2次世界大戦後アメリカに占領されていた沖縄が、26年ぶりに返還され、沖縄県として日本に復帰しました。

投稿日:2013年05月15日(水) 05:15

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)