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猫久

「おもしろ古典落語」の114回目は、『猫久(ねこきゅう)』というお笑いの一席をお楽しみください。

ある長屋に、久六という行商の八百屋が住んでいました。性格がおとなしく、人といさかいをしたことがありません。なにをいわれても、ニコニコ笑っているところから、みんなは「猫久さん」「猫久」と呼んでいます。もっとひどいのになると、猫、猫とかいってまして、中には「にゃごさん、どちらへ?」「ちょっとそこまで」なんて、当人も平気で返事をしています。その猫久がある日、人が変わったように真っ青になって家に飛びこむなり、かみさんに「今日という今日はかんべんできねぇ。相手のやつを殺しちまうんだ、おっかぁ、脇差を出せっ」と、どなりたてました。

真向かいの熊五郎がどうなるかと見ていますと、かみさんは、とめるかとおもいきや、押入れから刀を出すと、神棚の前で、三ベン押しいただき、亭主に渡しました。「おい、おっかぁ、驚いたねえ。それにしても、あのかみさんも変わってるな」「変わってるのは、いま始まったことじゃないよ。あいつは長屋でも、いちばん早く起きるんだ。朝、井戸端で会ってごらん。『おはようございます』なんていいやがるんだよ」「てめえの方がよっぽど変わってらぁ、早起きしてどこが悪い。あいさつするのもあたりめぇじゃねぇか」とつぶやいて、熊が床屋に行こうとすると、かみさんが「昼のおかずは、いわしのぬただよ、今日は南風が吹いてるから、ぐずぐずしとくといわしが腐っちまうから、早く帰っとくれ。いわしだよ……」「やかましいわい、いわしいわしって、どなりやがって、昼のお菜がわかっちまうじゃねぇか、悪いかかぁもらうと六十年の不作だっていうが、まったくだ」とぶつぶついいながら、床屋に着きました。

「親方、すぐやってもらえるかな?」「ああ、いまこの旦那がすんじまえば、だぁれもいねぇ」「そりゃ、よかった、すぐでねぇと困るんだ。いわしの1件があるからな」「なんだ、いわしの1件ってのは」「いや、こっちのことさ」「そうだ、熊さんとこのむかいの猫が、あばれだしたっていうじゃねぇか」「おや、もう知ってんのか?」と、親方に猫久の話を一気にまくしたてると、客の旦那が口をはさみました。年のころ五十前後のでっぷり太った赤ら顔のお侍で、「あいや、それなる町人、なにやらこれにてうけたまわれば、猫のばけものが現れて諸民を悩ますとやら、人畜を傷つけるとやら申すが、その猫を一刀のもとに、拙者が退治してとらす。案内いたせ」

「いえっ、ちょいとお待ちを…、あっしのいいようが悪かったもんだから、お間違げぇになったのかもしれませんが、あの、これはほんとの猫じゃねぇんでござんす」「なに? しからば豚か」「いや、豚でもねぇんで。よく人のいいやつを猫みたいだなんていいますでしょう」「うん、いかにも、おとなしき仁をとらえて猫にたとえるな」「あっしんとこの長屋なんですがね、久六と申しまして、あんまりおとなしいもんで、猫みてぇだ、猫の久さん、猫久だって、これなんですよ。この猫久がどっかでけんかなんかしてきたらしく、今日という日はかんべんならねぇ、刀を出せとさわぎたてたんですがね。ところが旦那の前ですが、このかみさんが変わりもんで、とめりゃいいもんを、押し入れから刀を持ち出しましてね、神棚の前へ座ったと思ったら、口ん中で何かとなえてましたが、そのうち刀を袖にあてがって、ぺこぺこ三べんばかり頭をさげたと思ったら、刀を猫に渡しちまったんで、ま、話ってのはこんなおかしなものなんで、エヘヘヘ……」「しかと、さようか。笑ったきさまがおかしいぞ。もそっと、これへ出い」「ちょいと、床屋の親方、なんかいってくれねぇかなぁ。旦那が猫のご親戚だってぇことを、ちっとも知りませんで、いえ、わざわざ笑ったんでなく、ちょっとついでがあったもんで、旦那かんべんしてくんねぇ」

「なんじ、人間の性あらば、たましいを臍下(さいか)におちつけて、よぉーくうけたまわれ。日ごろ猫とあだ名されるほど人柄のよい男が、血相を変えてわが家に立ち帰り、つるぎを出せとは、男子の本分よくよくのがれざる場合、朋友の信義として、かたわら推察いたしてつかわさねばならぬに、笑うというたわけがあるか。また日ごろ、妻なる者は、夫の心中をよくはかり、否といわずわたすのみならず、これを神前に三ベンいただいてつかわしたるは、先方にけがのなきよう、夫にけがのなきよう、神に祈り夫を思う心底、あっぱれ、女丈夫ともいうべき賢夫人である。身共にも二十五になるせがれがあるが、ゆくゆくは、さような女をめとらせてやりたいものであるな。後世おそるべし。世のことわざに、外面如菩薩、内心如夜叉なぞと申すが、その女こそさにあらず、貞女なり、孝女なり、烈女なり、賢女なり、あっぱれ、あっぱれ、じつに感服つかまつった」

熊、なんだかよくわかりませんでしたが、いただくかかぁと、いただかないかかぁとでは、いただく方が本物なんだと感心して、家に帰りました。とたんに「どこで油売ってたんだよ。お昼のいわし、いわし」ときましたから、こいつに一ついただかせてやろうと、侍の口調をまねします。「男子……よくよくのがれ……のがれざるやとけんかをすれば」「ざる屋とけんかしたのかい?」「そうじゃない、夫はらっきょう食ってわが家へ立ち帰り、日ごろ妻なる者は、夫の真ちゅうみがきの粉をはかり、ここがいいところだぞ、けがのあらざらざらざらとくりゃ、夫にけがのないように、祈る神様、仏様。身共にも二十五になるせがれがあるが」「おまえさん、二十七じゃないか」「あればって話だ。こういう女をかかあにしてやりてぇと、あーあ豪勢、おどろいた」「おどろくのかい?」「ああ、ここんとこはずっとおどろくんだ。世のことわざが外道の面よ、庄さんひょっとこ、般若の面、テンテンテレツク天狗の面」「なにやってんだい、浮かれたりして」「その女こそさにあらずとくりゃ、いいか、貞女や孝女、せんぞやまんぞ、あっぱれあっぱれ甘茶でかっぽれ、あんぷくつかまったとくらぁ」「ばかばかしいよ、この人は」「いいか、てめぇなんぞ、おれが何か持ってこいっていったら、猫んとこのかみさんみてぇに、いただいて持ってこれめぇ」「なんだと思やっ、そんなことか。わけないねぇ」

いい合っていますと、前からねらっていたと見えて、本物の猫がいわしをくわえて逃げていきました。「ちくしょう、おっかあ、そのすりこ木でいいから、早く持って来いっ、張り倒してやるから。おいっ、なにをぐずぐずしてんだ」と、おかみさん、すりこ木を持って……、、

神棚の前にぴたりと座り、三度ていねいにいただいて、熊さんに渡しました。


「4月12日にあった主なできごと」

1573年 武田信玄死去…戦国時代の甲斐を本拠拠にした武将で、越後の上杉謙信と5回にわたる川中島の戦いを行ったことで知られる武田信玄は、三方が原の戦いで徳川家康を破り、その勢いで織田信長をせめる途中に、病死したとされています。

1861年 南北戦争勃発…アメリカ合衆国の南北戦争は、北部23州と、南部11州の意見の食い違いからはじまりました。黒人のどれいを使うかどうかが主な対立点で、工業の発達していた北部はどれい制廃止、大きな農場主の多い南部はどれい制維持です。1860年にどれい制廃止を叫んだリンカーンが大統領に当選すると、南部は、北部と分れて「アメリカ連邦」を設立して、4年に及ぶ内戦がはじまりました。

1945年 ルーズベルト死去…アメリカ合衆国の第32代大統領で、アメリカ政治史上でただ一人4度大統領になったルーズベルトが亡くなりました。

1961年 人類初の宇宙飛行…ソ連(現ロシア)の宇宙飛行士ガガーリンが、宇宙船ボストーク1号に乗り1時間48分かけて地球を1周。人類初の宇宙飛行に成功しました。「地球は青かった」という感想の言葉は世界じゅうをかけめぐりました。

投稿日:2013年04月12日(金) 05:29

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)