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『愚管抄』 の慈円

今日4月15日は、平安時代末から鎌倉時代初期の天台宗の僧で、特異な歴史書『愚管抄』を著し、歌人としても名高い慈円(じえん)が、1155年に生まれた日です。

関白藤原忠通と加賀局の子として、九条兼実(かねざね)を長兄に4人兄弟の末子として生まれた慈円は、幼いころに京都東山にある天台宗の青蓮院に入寺し、青蓮院2世覚快が法親王(ほっしんのう)となると、13歳で道快となり、覚快が亡くなったとき、慈円を名乗りました。慈円が27歳のときでした。そして、1192年38歳で比叡山延暦寺の最高僧職・天台座主に、1203年には僧官としての最高位である大僧正となり、仏教界の最高位にのぼりました。

兄の九条兼実が関白となったことで、天皇を守る護持僧として後白河天皇や後鳥羽天皇(共にのちの法皇)から深く信頼されるいっぽう、兼実が源頼朝と密接な関係にあったことから、武家にも好意を寄せていました。1220年に著した歴史書『愚管抄(ぐかんしょう)』7巻は、神武天皇から1221年におこる「承久の乱」(後鳥羽上皇による倒幕失敗)の前までのできごとをつづりながら、貴族社会の没落と武家社会の勃興は、歴史の必然であるとしています。

文学においても第1級の位置をしめ、『新古今和歌集』には、西行(94首)に続き92首の和歌がおさめられている他、私家集の『拾玉集』には、百人一首にある「おほけなく うき世の民におほふかな わがたつそまに すみ染めの袖」(わが身にすぎたことながら この世の民におおいかける この墨染の衣の袖よ) など4600余首がおさめられ、『千載和歌集』にも多数の和歌が収録されています。一説には、『平家物語』は、慈円の保護と奨励のもとに成立したといわれています。また、当時異端視されていた法然の教義を批判しましたが、その弾圧には否定的で、法然や弟子の親鸞を庇護しました。

慈円は、強く反対していた「承久の乱」がおこってしまったことで、失意のうちに1225年に亡くなりましたが、没後13年目に「慈鎮和尚」の名が贈られています。


「4月15日にあった主なできごと」

905年 古今和歌集完成…『古今和歌集』(古今集)は、日本で最初の勅撰(天皇の命令で和歌などを編集)和歌集で、醍醐天皇の命によって 紀貫之 ら4名によって編まれ、この日、約1100首、20巻が醍醐天皇に奏上されました。『枕草子』を著した清少納言は、古今集を暗唱することが平安中期の貴族にとって教養とみなされたと記しています。

1452年 レオナルド・ダビンチ誕生…ルネッサンス期に絵画・建築・彫刻そして自然科学にも通じていた万能の天才と讃えられるレオナルド・ダビンチが生まれました。

1865年 リンカーン死去…「奴隷解放の父」といわれるアメリカ合衆国16代大統領リンカーンが、南北戦争の終わった5日後の夜、ワシントンの劇場で南部出身の俳優にピストルで撃たれ、翌朝、56歳の生涯を閉じました。

投稿日:2013年04月15日(月) 05:55

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)