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そばの殿さま

「おもしろ古典落語」の113回目は、『そばの殿(との)さま』というお笑いの一席をお楽しみください。

ある殿さまが、ご親戚にお呼ばれになりますと、そのご親戚では本膳のあと、座興として、そば職人にそばを打たせてごらんにいれました。そばを食べるのはかんたんなものですが、作るのはたいへんでして、そば粉を水でよく練り上げまして板にのせ、薄く延ばして、めん棒というのに巻きこみます。その棒をぬいておいて、うず巻きのようになったのを大きな包丁で切っていきます。同じ太さに切らなくてはなりません。こういうそばを作るのを「そばを打つ」といいます。この殿さまは、こういうのをはじめて見たからびっくりしました。そば粉をしっかりこね、切ってゆでて……という名人芸を目のあたりにしてすっかり感心したばかりか、さぁどうぞと出されたのを食べてみると、これがおいしいから二度びっくりです。

屋敷に帰ると、さっそく家来どもを集め、「これ、そのほうたち、そばは好きか、きらいか、遠慮なく申してみよ」「ははぁ」「ははぁではわからぬ、どうじゃ」いきなりこういわれて、うっかり好きと答えると、殿さまがきらいだった日には、みんなしかられます。「お殿さまは、いかがでござりましょう」「うん、余は大好物じゃ」「それでは、一同そろって、好きでございます」「さようか、しからば、そのほうたちに、そばを馳走(ちそう)してつかわそう」「これはありがたき幸せでござります。して、いずれよりとりよせられまするや?」「いや、余がじきじきに打ってとらする」「えっ、殿ご自身で?」「さようじゃ、これ、たれぞある。そばを打つ用意をいたせ」

鶴の一声ですから、すぐに山のようにそば粉が運ばれてまいります。小さな入れ物ではダメというので、馬の行水用のたらいを用意させました。こんな大きな入れ物では、上にのせる板がありませんから、玄関の杉戸をはずして持ってくる。練り棒の代わりは、番人の持ってる六尺棒。殿さまは、キリリと鉢巻きをしめ、さっそうとたすきを十字にかけるという出立ち。「……これ、粉を入れよ…水を入れよ……ううん、これはちと柔らかい。粉をくわえよ……少しかたすぎたな、水を加えよ。いやだめだ、粉を足せ。……ありゃ、今度はかたすぎる。水じゃ。あコレコレ、柔らかい。粉じゃ。固いぞ。水。柔らかい。粉。水、粉、水、粉粉・水水・粉粉・水水・粉……」いやはや、たいへんな騒ぎで、とうとう、馬だらいの中はそばの山盛りになってしまいました。

それを、杉戸の上にあげて、六尺棒で延ばしたり、巻いたりするのですが、素人にはうまくいくはずがありません。おまけに、殿さまは一生懸命ですから、汗はたらたら、水っぱなをたらしっぱなし。よだれまでたれる。それがぜんぶ馬だらいの「そば」の中に練りこまれるのですから、家来たちは気が気ではありません。殿さまのほうは、どうにかこうにか平たくしまして、これを切りましたが、薄いの、厚いの、かたいの、柔らかいの、ぐしゃぐしゃなの、なんとも珍妙なそばができあがりました。「早くうでろ」「はっ」「もう、うだっただろう」「まだ、少し早いようで」「かまわん、余が食するでない。家来たちが食すのじゃ」

いくら、家来が食べるのでも、生ゆではいけません。おつゆだけは料理人が作ってます。殿さまは、衣服をおめしかえまして、正面にどっかりお座りになって、「あー、一同のものに申しつける。本日は、余の馳走であるぞ。心おきなく、じゅうぶんに食せよ」「ははぁ、ありがたく、ちょうだいつかまつります」こんなものが、ありがたいわけはありませんが、殿さまの手づくりで、正面に見てるのですから、食べないわけにはまいりません。残すとしかられますから、ぐちゃぐちゃどろどろのそばを、懸命に食べますと、「それ、すぐにかわりをとらせよ!」

1杯でもじゅうぶんなところを、2杯、3杯と食べさせられ、その晩は、家来一同、腹痛をおこしてたいへんな騒ぎ。あくる朝になって、青ざめた顔をして、お城へやってまいります。「鈴木氏(うじ)、だいぶお顔の色が悪いようじゃな」「うん、帰宅いたして、かわや(便所)へかようこと、27回。ところで山田氏、貴公もだいぶおやつれじゃないか?」「はぁ、拙者も18回かよい申した…、おう、斎藤氏、本日はめずらしく遅いご出仕で…」「はぁ、拙者かわや通い32度目に夜が白々とあけ申して一睡もしてござらん。荒木老はいかがで」「拙者か、拙者はただのいっぺんじゃ」「これはご老体、ご壮健なことで」「いや、宵に入ったきり、ついさっきまで入りおり申した」「ご老体、なにやらふろしき包みをご持参のようでござるが…」「いや、老妻が心配つかまつって、おしめを用意いたしてくれ申した」

いやはや、たいへんな騒ぎでございます。そのうちに殿のお召しというので、一同のものが御前にずらりと並びました。「これ、一同の者、そのほうたちがそば好きじゃによって、本日は余が腕によりをかけてそばを打っておいたぞ、遠慮なく食せ」「殿、恐れながら申し上げます」「なんじゃ」

「おそばを下しおかれますなら、ひとおもいに、切腹をおおせつけられたく、願いあげたてまつる」


「4月5日にあった主なできごと」

1976年 四五天安門事件…中国の首都北京にある天安門広場で、1月に亡くなった周恩来をいたむためにささげられた花輪を撤去されたことに対し、民衆と警察が衝突、政府によって暴力的に鎮圧された「天安門事件」がおこりました。1989年6月4日に起きた「六四天安門事件」と区別するため、第1次天安門事件ともいいます。

1998年 明石海峡大橋…神戸と淡路島を結ぶ全長3911m、世界最長の吊り橋「明石海峡大橋」が開通、神戸〜鳴門ルートの開通となりました。児島〜坂出ルート(瀬戸大橋)と、1999年に開通する尾道〜今治ルート(瀬戸内しまなみ海道)とともに、本州と四国を結ぶ3ルートの一つとなっています。

投稿日:2013年04月05日(金) 05:09

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)