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しめこみ

「おもしろ古典落語」の110回目は、『しめこみ』というお笑いの一席をお楽しみください。

「しめこみ」といっても、お相撲さんの「まわし」のことではありません。ちょっとまぬけな「空き巣ねらい」の泥棒の話です。「こんにちは、お留守ですか? えー、表があけっぱなしになって、ぶっそうですよ。ごめんください。あっ、火がおこって、お湯がチンチンわいてる。遠くへいったんじゃないよ、仕事をするなら今のうちだ」泥棒は、たんすの引き出しから風呂敷を出すと、中のものをそこへ包んでしょいだそうとすると、表で足音が近づいてきました。こいつはいけないと、裏に逃げようとしましたが、裏は行きどまり。しかたがないので、あわてて台所の羽目板をはずして、縁の下に隠れました。

亭主が帰ってきました。「なんだい、日の暮れに家を開けっぱなしにしやがって。おおかたそこらでおしゃべりでもしてんだろう。それにしてもずいぶんとちらかってやがる。暗いから明りでもつけてみよう。おやっ、ここに大きな風呂敷包みがあるぞ。どっかから預かったのかな。それにしても、この風呂敷には見覚えがあるな。中を調べてみるか。おぅ、こりゃおれの着物と羽織だ。こっちは、かかぁの晴着じゃねぇか。そうか、たんすのものを、すっかりくるみやがったな。すると、火事でもあったのかな、こいつをつつんで逃げようとしたら、うまい具合に火が消えた…? いやぁ、火事なら、近所じゅうがバタバタしてるはずだな。とすると、かかぁのやつ、男でもできて……、そういやぁ、このあいだ松公がおかしなこといってやがったな。『おい、気をつけなよ。おたげぇ、出商売で家にいねぇんだから…』って、別段気にも留めなかったが、それとなく教えてくれたんだな。そうか、男とこの包みを持ってずらかるところだったんだ、うーん、ちくしょうめ」

「あー、いいお湯だった……あら、お帰んなさい。早かったねぇ、お前さんも今のうちにお湯へいってきたらどぉ? 男湯はすいてたわよ。どうしたの? そんな、怖い顔してさ。ああ、あたしの帰りが遅いんで、怒ってんだね。女のお湯というのは、男とちがって長いんだよ。お湯やでお向かいのおかみさんといっしょになってね。背中を流してくれたから、あたしもお返しに背中を流してあげたのよ。そうしたら、お湯をくんでくれてね、あたしもくんであげたの。こんどは髪を洗うっていうでしょ…」「そんなこと聞いてるんじゃねぇ。これを見ろやいっ!」「あーら、大きな風呂敷包みだねぇ、火事でもあったのかい、それとも、どっかの預かりものかい?」「ごまかすな、こんちくしょう。聞きたいのはこっちのほうだ。やい、てめぇは、こんなものこしらえて、どこへ逃げようと思ったんだ」「えーっ、なんであたしが逃げなくちゃいけないんだい。ははぁ、わかった、逃げようと思ったのは、おまえさんだろ」「なにいってるか、この大荷物をおれのせいにするのか」「だって、あたしは知らないよ」「知らねぇことはねぇ」「しらねぇことはねぇったって、知らないんだよ」「このおたふく野郎、まだシラを切るのか」

「おたふくだって? いったわねぇ。ふん、おまえさん、あたしといっしょになったときのこと忘れたのかい?」「なんだ?」「あたしは、伊勢屋にいたんだよ」「ああ、たしかにおまえは伊勢屋の飯炊きをしてた」「はばかりさま! おっかさんにいわれて花嫁修業をしていたのでお給金は貰ってないんだよ。伊勢屋さんはしっかりしたお店だし、あそこなら、ごはんの炊きかたからもお裁縫も、行儀作法をおぼえるのにいちばんだ。それに、出入りの人も多いから、ひょっとすると、いいおむこさんの口もみつかるかもしれないって。なのにあんたは、台所で私の袖を引いたんじゃないか。『あの二人はおかしいといわれるから、本当にいっしょになってしまおう』っていったのはあんただよ。あのとき、うちのおとっつぁんと、おっかさんの前で『いっしょになったら、あっしがなんでもやります。朝だって早く起きてご飯を炊きます。洗濯もやります。こんなやさしい女はありません。もう、生きた弁天様です』といったじゃないか。それをおたふくだなんて」「やかましいわい、こんちくしょう」「あっ、ぶったわね」「あぁ、ぶったとも」「くやしいーっ、いくらでもぶちやがれ!」

夫婦げんかも、このくらいになってくるとすさまじいもので、亭主は沸騰しているやかんを、おかみさんにぶっつけます。おかみさんは、さっと体をかわす。やかんは台所の羽目板の上まで飛んでひっくりかえりました。煮えたぎったお湯が、縁の下の泥棒に、もろにかかってきました。驚いた泥棒は、飛び出してきて二人の仲裁をはじめます。

「あぶない、おかみさん、お逃げなさい。親方も、まぁまぁ……」「ややや、なんだ、あんまり見かけねぇ面だな、だれだ?」「えっへっへ、いえね、別に名乗るもんじゃありませんが、いま、前を通りますと、おふたりで喧嘩の真っ最中、思わず飛びこんできたようなわけで」「そうですかい、止め役はありがたいが、どうか手を引いておくんなさい。今夜という今夜は、勘弁できねぇんで」「親方、お腹立ちでしょうが、まぁ、あたしにおまかせください」「おまかせくださいって、このけんかの起こりを知ってんのか?」「へぇ、へぇ、そりゃわかってます。その風呂敷包みでしょ。その包みをだれがこさえたかわかれば、よろしいんでござんしょ」「うん、まぁ、そういうわけだ」

「では、お話をいたします。あれをこしらえたのは、親方でもなく、おかみさんでもありません」「二人が作らなくてどうしてできる?」「それは、つまりですね、お二人とも留守の時に、ぬーっと入ってきた男がいると思ってください。たんすの引き出しをあれこれ開けて、大きな包みをこしらえて、さて逃げようと思ったところへ、親方が帰っていらした。しかたがないから、その男は逃げるに逃げられず、縁の下に隠れていたら喧嘩がはじまった」「なるほど」「あげくのはてに、親方がやかんを放り投げました。それが台所へころがってきて、煮えたお湯があげ板の間からポタポタポタポタ、いゃぁ、熱いのなんの、とても我慢ができませんから、その男ぁ飛び出してきて、まぁまぁと、仲裁にはいったというようなわけで…」「その男ってぇのが、つまりおまえさんかい?」「ごめいとう!」「じゃぁ、おまえさんは泥棒だね」「早い話がそうです」

「それ見ろ、不用心にするから、どろ…泥棒さんが入るんだ。もし、この泥棒さんが出てきてくれなければ、おれたち夫婦別れしたかもしれねぇ」「泥棒さま、ほんとうによく出てきてくれました。ありがとうございます」「どういたしまして。まぁ、喧嘩も無事におさまって、ようございました。縁の下でうかがっていましたが、お宅さまは、喧嘩をするようなご夫婦じゃございません。仲が良すぎるくらいです。お二人のなれそめを聞いていましたが、おかみさんは、ほんとうに弁天様のようなお方ですね」「おい、よせやい」「これをご縁にちょくちょくと」「冗談じゃねぇ」

でも、まぁよかった、無事におさまったというので、のんきな人もあるもんで、「泥棒さん、今夜は忙しいのかい」「はぁ? いえ、なにもありません」「それでは一献差し上げよう」ということで、亭主が用意した酒肴で二人は酔いつぶれてしまいました。目を覚ました亭主が「泥棒さんはよく寝ているね。不用心にしていると泥棒が入るといけないから、心張り棒をしっかりかけておきな」「はい」

「ちょっと待て、泥棒は家ん中だ。外から心張り棒をかけておけ」


「3月15日にあった主なできごと」

BC44年 シーザー死去…古代ローマの政治家で終身執政官となるも、「ブルータス、お前もか!」という有名なセリフを残し、シーザー(カエサル)が暗殺されました。

1928年 3.15事件…日本共産党は、第1次世界大戦後に秘かに党を結成して、労働者の政治運動をさかんに行なっていました。そして、1928年2月の第1回普通選挙で、共産党を含む無産政党から8名の当選者を出しました。これに脅威を感じた田中義一内閣は、共産党を含む左翼団体の関係者千数百名を捕らえ、治安維持法違反の罪で処罰しました。これが「3.15事件」で、これ以降共産党や労農党は結社を禁止されました。この時逮捕された徳田球一や志賀義雄らは、1945年10月にGHQの指令で釈放されるまで18年間、獄中につながれたままでした。

投稿日:2013年03月15日(金) 05:39

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)