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笑い茸

「おもしろ古典落語」の109回目は、『笑(わら)い茸(だけ)』というお笑いの一席をお楽しみください。

生まれてから笑ったことのないという人がありました。仏具屋の頂兵衛、つめて「仏頂」さんという人で、年が四十五歳。無愛想な顔とか、ふくれっ面なんかを仏頂面(ぶっちょうづら)というのは、この人から始まったそうで……。おかみさんも、仏頂さんと連れ添って十五年になりますが、一度もご主人の笑い顔を見たことがないので、いろいろ心配しまして、横丁の寸白(すんぱく)先生という医者のところへ相談にいきました。

「笑わないというのは、やはり病気ではないでしょうか。なにかよい薬がありましたら、飲ませとうございます」「はぁ、それには良い薬がある。紅葉茸(もみじだけ)といって、紅葉の木の根っこへ生えるものじゃが、これを酒のなかへひたしておいて飲ませると、どんな笑わない者でも、自然と笑い出す。それでこれを『笑い茸』という。さいわい、ここにあるから、持っていって飲ましてやりなさい」

おかみさんは、よろこんで笑い茸を持ち帰り、さっそくお酒の中へひたしておいて、「もし、あなた。私たち夫婦になって十五年になりますねぇ」「そんなこと、おまえにいわれなくったってわかっとる」「ですけどあなた、この十五年の間、一度でも私の前でお笑いになったことがありますか?」「おれには、笑うほどおもしろいことがないのだ。世間の人が笑ってると、ばかばかしくてたまらん」「でも、それじゃ、つまりませんわ。わたし心配ですから、じつはさっき、横丁の寸白先生のところへいってきたんです。すると先生は、笑い茸というのをくださって、『これを飲ませると、どんな人でも、自然に笑い出す』とおっしゃるんです」「なんだい、亭主が笑わないからって、薬をもらってくるやつがあるか。おまえは、その医者にだまされたんだ」「でも、飲んでみなくちゃわかりませんよ。まぁ、ものはためしだから、飲んでごらんなさいよ」「そこまでいわれちゃ、飲まないわけにはいかぬな。ここへお出し」

「はい、これでございます」「これを飲めば、必ず笑うというんだな。こんなものを飲んだって、笑うわけがない。だまされたんだ、医者に。いや、飲みますよ。飲まないとはいわない。…うーむ、あまり、うまいものではないな、おかしな味がする。……さぁ、すっかり飲んじまったが、おかしくも何ともない」「いまにあなた、お薬がからだへまわると、自然に笑いだすようになりますよ」「なぁに、笑いません」「いいえ、あなたが強情をはっても、お薬がまわれば笑いますよ」「笑いません! よく考えてみなさい、おれの身体だよ、おれが笑うまいと思えば、どんな薬を飲んでも、おかしくなる道理がない。こうなるとおれも強情だから、生涯笑わないから、そう思いなさい」「そんなこといってもだめですよ」

「だめなもんか。なぜ、おまえ、そこでおかしな顔をして見せるんだ。おまえがそこで、笑っても、おれは笑わない。ふふ、おまえがそこで笑ってみたって、ははは、おれは笑いやしない」「あらっ、笑ったじゃありませんか」「ふふふ、なぁに、笑うもんか、はははは、ふふふふ」「笑いましたよ、それごらんなさい」「おまえの気のせいだ。薬を飲んだからいまに笑うだろう、笑うだろうと思っているから、笑うようにみえるんだ、ふふふ、ばかな話だ。はははは、ふふふふふ。いや、こいつはいけねぇ、あはははは、おい、どうも、こいつは変だ。おい、人間というのは、考えてみればおかしなもんだ。なぁ、あっはっはっは。おまえとおれは、もとは他人だ、他人どうしだ、あっはっはははは。その他人どうしが、ふっふっふ、夫婦になって、あっははは……、夫婦になったときは、と、年が一つ違いだったろ。はっははは、十五年前に一つ違いだったのが、あっはははは、いまだにひとつ違いだ、あっはっはっは」

おかしくもなんともない、当たり前のことをいって、仏頂さん、しきりに笑いころげています。ところが、不思議なもので、笑う門には福来る、とはよくいったもので、世間じゅうの金が仏頂さんのところへ集まってきて、たちまちの間に、仏頂さんは大金持ちになりました。その金をつみあげては、それをながめながら笑って暮らしていました。それにひきかえて天国では、お月さまをはじめたくさんのお星さまは、残らず貧乏になり、あわてて調べてみますと、下界に仏頂という笑ったことがない男がいて、笑い茸のおかげで笑いがとまらなくなった。そのために、金が仏頂のところへ集まってしまうということがわかりました。

それなら、こっちも負けないように笑ったら、その金が帰ってくるだろう、仏頂のところにいる金に聞こえるよう、大ぜいで笑いとばせということで、お星さまたちが残らず大声で、わははは、わはははと笑いたてると、仏頂さんのところにいた金が、その笑い声につられて、また出かけようとするので、仏頂さん、笑いながらこれを止めて、「おいおい、おまえがたは、どこへ行くんだい?」「へぇ、だんな、天国で、みんなが笑っておりますから、また、天国へまいります」「はははは、おまえがたは、天国へ行くにはおよばないよ」「へぇ、どういうわけで?」

「あれはみんな、空(そら)笑いだ」


「3月8日にあった主なできごと」

1917年 ロシア革命…1914年に第1次世界大戦が始まると、経済的な基盤の弱かったロシア帝国は、深刻な食糧危機に陥っていました。この日、首都ペトログラードで窮状に耐えかねた女性労働者たちのデモがストライキを敢行、兵士たちもこれを支持しました。事態を収拾できなくなったニコライ2世が退位して、ロシア帝国は崩壊。この「2月革命」により、新しく生まれた臨時政府と各地に設置されたソビエトが対立することになりました。こうして10月に、ソビエトが臨時政府を倒して政権を樹立し、世界で初めての社会主義国家が誕生しました。

1935年 忠犬ハチ公死去…飼い主が亡くなった後も、渋谷駅で主人の帰りを待ち続けたという「忠犬ハチ公」が死亡しました。渋谷駅前にあるハチ公の銅像前は、待ち合わせ場所としていまも有名です。

投稿日:2013年03月08日(金) 05:06

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)