児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ Top >  おもしろ落語 >  藪入り

藪入り

「おもしろ古典落語」の102回目は、『藪入(やぶい)り』というお笑いの一席をお楽しみください。

昔、世の中がまずしかったころ、男の子は小学校を終えると、たいていは奉公に出されました。商店の小僧として住みこむのが常で、休日は、「藪入り」という正月とお盆の16日、年に2回というのが普通でした。それも奉公に出て、3年間くらいは里心がつくというので、自分の近所へのお使いでも、他の小僧をやるようにされたので、親子は、やっと3年目にして口が聞けるという、そんな時代のお話です。

「藪入りや 何にも言わず 泣き笑い」なんて川柳にあるくらい、3年目の藪入りの日には、男親は朝からソワソワしています。いえ、前の晩からです。「なぁ、おっかぁよ」「なんだい?」「金坊のやつ、よくがまんしたなぁ」「ほんとうだね」「奉公はつらいといって、逃げ出してこないかといい心配をしてたが、やぱりおれの子だなぁ」「おまえさんは、いいことがあるとおれの子だ、おれの子だっていうけど、悪いことがあると、おまえが悪いって、あたしばかりに小言をいうじゃないか」「だけど、強情なとこは、おれに似てらぁ。そんなことより、明日きたら、温たけぇ飯を炊いてやんなよ」「わかってるよ、冷や飯なんか食べさせっこないから、安心をし」「野郎、納豆が好きだから、買っといてやんなよ」「あいよ」。しじみ汁に、海苔を焼いて、卵を炒(い)って、しる粉を食わしてやりたい。刺身にシャモに、鰻の中串をご飯に混ぜて、天ぷらもいいがその場で食べないと旨くないし、寿司にも連れて行きたい。 ほうらい豆にカステラも買ってやれ。用意するものが、次つぎにでてきます。「うるさいんだから、もう寝なさいよ」「で、今何時だ」「3時半ですよ」「昨日は今頃夜が明けたよな」「おふざけじゃないよ、もう寝なさいよ」

「ひと晩くらい寝なくたっていいやな。朝きたら、湯に連れてってやろう。それから奉公先を世話してくれた本所の吉兵衛さんのとこへ顔を出させよう。浅草の観音さまへお参りして、品川の海を見せて、川崎の大師さんに寄って、横浜の野毛、伊勢佐木町の通りを見て、横須賀に行って、江ノ島、鎌倉もいいな。そこまで行ったら、静岡、豊橋、名古屋のしゃちほこ見せて、伊勢の大神宮にもお参りしたい。そこから讃岐の金比羅さまから、安芸の宮島へ出て、九州…か」「ちょいとおまえさん、一日しかないんだよ。そんなに歩けるわけないだろ」「歩けなくたって、そうしたいって話だぁ。まだ夜が明けないのか?」「まだ、4時半だよ」「4時半、しめた。そんならもう夜は明けらぁ」というが早いか、家の回りを掃除しはじめました。普段はそんなことしたことがないので、近所の早起きの人が声をかけても上の空です。

「こんにちは、ご無沙汰いたしました。めっきりお寒くなりましたが、ご機嫌よろしゅうございます。おとっつぁんも、おっかさんも、別にお変わりもなく、何よりでございます」と、ていねいな挨拶をして息子の金ちゃんが帰ってきました。「ちょっと、おまえさん、なんとかいっておやりよ」「待ってくれ、へぇへぇ、どうも。本日はまた……ご遠方のところ、わざわざおいでいただきまして、ありがとうござんす…おい、おっかぁ、そばにいろよ」「なにいってるんだよ、おまえさんの前にいるじゃないか」「見てぇけど、目が開けねぇんだ。後から後から涙が出て、それに水っぱなも出てきやがった。あっ、動いている。よく来たなぁ。おっかぁは、ゆんべ夜っぴて寝てないんだよ」「それはお前さんだろ」……。

落ち着いたところで、金ちゃんはお湯に出かけました。「おっかぁ、立派になったな金坊。手ついて挨拶も出来るし、『別にお変わりもございませんか』ときやがったぜ。てぇしたもんだ。着物も帯も履き物だって、年季野郎のもんじゃないぜ。きっと、奥さまに可愛がられてるんだろうな……、おい、なにしてるんだ? 子どもの紙入れなんぞ、開けてみるなよ」「だって土産を買っちまって、小遣いがなくなっちまったんじゃないかと思って……あらあら、大変だ。紙入れの中に、5円札が3枚もあるよ。…初めての宿下がりで、あれだけ土産を買ったのに、まだ15円もあるのは、多すぎないかい、なにか悪い了見でも……」「そういわれてみれば少し多いな。まさか、ご主人の金でも、ちくしょう、親の気も知らねぇで、帰ってきやがったら、野郎っ! どやしつけてやる」

そこに金ちゃんが湯から気持ちよさそうに帰ってきました。「そこに座れ。おれは卑しいことはこれっぽっちもしたことはねぇぞ。それなのに、この15円はなんだ」「わたしの紙入れを見たんですか? これだから貧乏人のすることは、野卑でいやになっちゃう」「なんだ、このやろう」とポカリとなぐりました。「おまえさん、ちょいとお待ちよ。金坊、さぞびっくりしただろうね。おとっつぁんは気が短いから、口より手が早いんだから。あのお金、どうしたんだか、おっかさんに話しておくれ。あんまり多いから、あたしが心配して、おとっつぁに聞いてもらったんだよ」

「盗んだもんじゃありません。去年ペストが出ましたときに、ネズミ捕りの懸賞付きのお布令がでましたので、店の土蔵に出たネズミを捕まえちゃあ、交番へ持っていくと、わずかですが、銭が貰えました。それから、そのうちの1ぴきがネズミの懸賞に当たって15円もらったのをご主人に差し出すと、子どもがこんな大金を持っているのはためにならないと、ご主人が預かってくれていました。今日宿下がりに店を出るとき、そのお金を持って帰って親たちを喜ばせてやれと、持たせてくれたものなのです」「まぁ、そうかい、わけも聞かずにぶったりして、かんにんしておくれ」「おっかぁが変なこというものだから、おれだって妙な気になるじゃないか。ネズミの懸賞に当たったのか、うまくやりゃがったなぁ、許しておくれよ。これからもご主人を大事にしなよ。

それもこれも、チュー(忠)のおかげだから」


「1月18日にあった主なできごと」

1467年 応仁の乱…室町幕府の執権を交代で行なっていた斯波、細川と並ぶ三管領の一つである畠山家では、政長と義就(よしなり)のふたりが跡目争いをしていました。この日、義就の軍が政長の軍を襲い、京の町を灰にした11年にも及ぶ「応仁の乱」のキッカケとなりました。将軍足利義政の弟義視と、子の義尚の相続争い、幕府の実権を握ろうとする細川勝元と山名宗全、それぞれを支援する全国の守護大名が入り乱れる内乱となっていきました。

1657年 明暦の大火…この日の大火事で、江戸城の天守閣をはじめ江戸市街の6割以上が焼け、10万8千人が焼死しました。本郷にある寺で振袖供養の最中に、振袖を火の中に投げこんだ瞬間におきた突風で火が広がったことから「振袖火事」ともいわれています。

1689年 モンテスキュー誕生…『法の精神』を著したフランスの法学者・啓蒙思想家で、司法・行政・立法という政治の三権分立をとなえ、アメリカ憲法や「フランス革命」に大きな影響を与えたモンテスキューが生まれました。

1919年 パリ(ベルサイユ)講和会議…第1次世界大戦後の講和会議が、アメリカ、イギリス、フランス、イタリア、日本の5か国が参加してパリで開催されました。講和条約の調印式がベルサイユ宮殿で行われたことから、ベルサイユ会議とも呼ばれています。この条約により国際連盟が成立することになりました。また莫大な賠償金を強いられたドイツは経済破綻をおこし、ナチス党がおこるきっかけとなりました。

投稿日:2013年01月18日(金) 05:36

 <  前の記事 はなたれ小僧さま  |  トップページ  |  次の記事 信念を貫いた宮本百合子  > 

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://mt.izumishobo.co.jp/mt-tb.cgi/2957

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)

         

2014年08月

          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

月別アーカイブ

 

Mobile

児童英語・図書出版社 社長のこだわりプログmobile ver. http://mt.izumishobo.co.jp/plugins/Mobile/mtm.cgi?b=6

プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)