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信念を貫いた宮本百合子

今日1月21日は、自伝的長編小説『伸子』や『播州平野』などを著わし、プロレタリア文学のリーダーとして、軍部の圧力にめげず、ねばり強く生きぬいた宮本百合子(みやもと ゆりこ)が、1951年に亡くなった日です。

1899年、大正時代の著名な建築家中条精一郎の長女として、東京・小石川に生まれた百合子(本名・中条ユリ)は、少女時代から小説を書きはじめ、1916年、日本女子大英文科予科に入学後まもなく、東北の寒村の悲劇を人道主義的にみつめた中編『貧しき人々の群』を「中央公論」に発表すると、天才少女として注目を集め、大学を中退して作家生活に入りました。

1918年、父と共にアメリカに遊学、翌年コロンビア大学の聴講生となったときに知り合った15歳年上の古代東洋語研究者と結婚して帰国するものの、4年後に離婚。ロシア文学者湯浅芳子と共同生活をおくりながら、恋愛から結婚生活とその破たんをつづり、知的な女性の生き方を積極的に探ろうとする長編『伸子』を1928年に発表しました。この作品は、近代日本文学の第一級の作品と高く評価され、作家としての地位を確立しました。

その後、湯浅と共にソ連へ遊学して1930年に帰国すると、労働者の立場から生活や思想を描く「プロレタリア文学」運動に参加し、1931年に日本共産党に入党、そして翌年、文芸評論家で共産党員だった9歳年下の宮本顕治と結婚しました。ところが、プロレタリア文化運動に加えられた弾圧のため、顕治はスパイ査問事件の主犯として検挙されたため、夫婦での生活期間はごく短いものでした。

百合子は獄中の顕治を獄外から支え、自らもたびたび検挙されたり執筆禁止などを受けながらも、信念を変えず、ねばり強く文学・評論活動を続けました。太平洋戦争敗戦後、GHQが国内全政治犯の即時釈放を指令したことで、1945年10月顕治も12年ぶりに出獄、夫とかわした約900通の書簡は、百合子没後『十二年の手紙』として出版され、話題になりました。

戦後の百合子は、執筆禁止から解放されたことで、『播州平野』(1947年)や『道標』(1950年)など、たくさんの優れた作品を著しました。波乱に満ちた51年の生涯のうちの大部分は、自らの小説や評論などに描き出されています。

なお、オンライン図書館「青空文庫」では、宮本百合子の作品や評論など、1000点以上を読むことができます。


「1月21日にあった主なできごと」

1530年 上杉謙信誕生…戦国時代に武田信玄、北条氏康、織田信長らと合戦を繰りひろげた越後の武将 上杉謙信が生まれました。

1793年 ルイ16世処刑…1774年にフランス国王となったルイ16世は、当初は人気がありましたが、1776年のアメリカ独立戦争を支援したことなどから財政が苦しくなって1789年にフランス革命を招き、前年に王権を停止され、この日ギロチンで処刑されました。

1866年 薩長同盟…これまで抗争をくりかえしてきた薩摩藩と長州藩は、坂本龍馬や中岡慎太郎らの仲介により、薩摩の西郷隆盛らと長州の桂小五郎(のちの木戸孝允)が会談、協力して倒幕し新国家建設を進めることを誓いました。

1924年 レーニン死去…ロシアの革命家で、世界で初めて成功した社会主義革命「ロシア革命」を主導し、ソビエト連邦、ソビエト共産党の初代指導者となったレーニンが亡くなりました。

投稿日:2013年01月21日(月) 05:04

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)