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『砂の女』 の安部公房

今日1月22日は、三島由紀夫らとともに戦後派の作家とされ、『砂の女』『他人の顔』『燃えつきた地図』『箱男』など、海外でも高く評価されている作家の安部公房(あべ こうぼう)が、1993年に亡くなった日です。

1924年、東京・滝野川の医師の子として生まれた安部公房は、幼少のころから満州で育ち、中学時代からリルケやハイデッガーらの外国の小説や詩を読みあさるなど天才的な少年でした。1943年に東京帝国大学医学部に入学しましたが、満州に帰省中の1945年に敗戦をむかえ、父の急死により家を追われ、奉天市内を転々としながら生活費を得ました。

1946年の年末に、引揚船で帰国するものの、敗戦後の混乱した世の中で、生きるか死ぬかの厳しさを体験しながら、『無名詩集』を自費出版したり、さまざまな作家や芸術家と交流を深めました。1948年に、東大医学部を卒業したものの医師の道を断念し、処女小説『終わりし道の標べに』を発表しました。満州の匪賊に捕らわれた日本人青年が書きつづる3冊のノート形式の物語で、この作品が縁となって、埴谷雄高、花田清輝、岡本太郎らの運営する「夜の会」に入会しました。とくに、花田清輝に影響された安部は、シュールリアリスム(超現実主義)に近づくと、1950年に『赤い繭(まゆ)』で戦後文学賞を、1952年には『壁─ S・カルマ氏の犯罪』(同名短編集の第1部)で芥川賞を受賞したことで、作家としての地位を固めました。

そして1962年、代表作となる『砂の女』を発表しました。つぎのような内容です。

主人公の中学教師は、砂漠にいるという新種のハンミョウを採集しに向かうとき、砂漠の中のある村で、独り者の女性が住む家に滞在するように勧められました。村の家は一軒一軒が砂丘に掘られた蟻地獄の巣のような穴の底にあって、はしごをのぼることで地上と出入りできます。ところが、一夜明けるとはしごが村人によって取り外され、主人公は女とともに穴の下に閉じ込められて同居をはじめることになります。村人たちは、砂に埋もれてしまうための人手を欲しがっていたため、主人公は砂をかきだす作業をしながら、さまざまな方法で脱出と抵抗を試みるものの果たせません。ところがある日、あっけなく脱出に成功しますが、こんどは自らの意志で、穴の底へ下りていくのです……。 

『砂の女』は、1964年、安部公房自身による脚本で、勅使河原宏監督により映画化され、第17回カンヌ国際映画祭において審査員特別賞を受賞しています。

その他の作品として、顔を事故で失った男が引き起こす騒動をえがいた『他人の顔』(1964年)、興信所員を主人公に追うものと追われるものが逆転する『燃えつきた地図』(1967年)、段ボール箱をかむったまま生活する奇妙な男の日常をつづった『箱男』(1972年)など、超現実的な世界を設定して、そこに生きる人間を見つめるという独自の手法を用いた作品群は、国際的にも高く評価され、30か国以上の言語に翻訳されて人気をよび、晩年は、毎年のようにノーベル文学賞の候補とされました。

なお、安部は1973年、演劇集団「安部公房スタジオ」を発足させ、劇作家、演出家としても活躍しました。とくに1979年のアメリカ公演での上演作品『仔象は死んだ』は、その斬新な演劇手法により大反響を呼びおこしましたが、自らの健康悪化のため、1982年に活動を休止しています。


「1月22日にあった主なできごと」

1793年 大塩平八郎誕生…江戸時代後期の儒学者で大坂町奉行所の与力を勤めるも、窮民救済を叫んで反乱(大塩平八郎の乱)をおこして失敗した大塩平八郎が生まれました。

1905年 血の日曜日事件…ロシアの首都ペテルブルクで、労働者10数万人が皇帝へ請願のデモ行進をしていたところ、軍隊が突然発砲し3千人余りの人たちが死傷しました。当時は、日露戦争のさなかで、年初に旅順が陥落するなど、人々の生活の苦しさはピークに達していました。この事件をきっかけに、各地にソビエトが生まれたことで「ロシア第1革命」ともよばれています。

投稿日:2013年01月22日(火) 05:26

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)