児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ Top >  おもしろ落語 >  かつぎ屋

かつぎ屋

「おもしろ古典落語」の101回目は、『かつぎ屋(や)』というお笑いの一席をお楽しみください。

呉服屋の旦那は、度をこした縁起かつぎ屋です。目をさませば寝て見た夢を気に病み、朝茶に茶柱が立てばきげんを直し、歩きだして下駄の鼻緒が切れれば、そのまま外出をとりやめるほど。「凶は吉に返ると申します」と番頭にいわれれば、思い直して出かけますが、道でカラスが鳴いたのを聞くと、真っ青になるという具合です。

「旦那さま、お年賀の品をお持ちしました」「やぁ、ごくろうさま。こっちへもってきておくれ。わたしが帳面につけますから、長吉や、ひとりひとり読みあげなさい」「へぇ、では、伊勢屋の久兵衛さん」「伊勢久さんか、あいかわらず早いな…あとは?」「美濃屋の善兵衛さん」「おいおい、そんな長ったらしくいっちゃいけないよ、商人(あきんど)というのは、帳面は早くつけないといけないから、伊勢屋の久兵衛さんは伊勢久さん、美濃屋の善兵衛さんは美濃善さんというようにいいなさい」「へぃ、わかりました。ではアブクと願います」「アブクだと? だれだい、それは?」「油屋の九兵衛さんで、略してアブク」「そんなのは普通に読みなさい。つぎは…」「あとはテンカン」「天満屋の勘兵衛さんで、略して天勘」「なるほど、つぎは」「シブトでございます」「おい、いいかげんにしろ、そりゃだれだ」「渋屋の藤吉さんですから、シブト」「どうも困ったもんだ。もういい、あっちへ行っておくれ」

「えー、旦那さま、あたしが代わって読みあげます」「ああ、番頭さん、そうしておくれ」「では、まず鶴亀とねがいます」「おいおい、あたしが気にするからといって、つくりごとはいけませんよ」「いえ、この通り鶴屋の亀吉さん、鶴亀です」「うれしいね、あっはっはっ、おまえさんのおかげで気分が晴れてきましたよ。あとは」「ことぶきで……」「ことぶき?」「はい、琴平屋の武吉さんで、ことぶきです」「鶴亀のあとが寿なんぞは、じつに縁起がいい、胸がすーっとしました。きょうのところは、これでやめときましょう」

むかしは、元旦と二日の宵に、七福神の乗っている宝船の一枚刷りの絵を売り歩く習慣がありました。二日の夜見る夢を「初夢」といいまして、この絵を枕の下に敷いてよい夢をみようということで、「お宝、お宝」と売って歩く船屋という商売がありました。

「おい、番頭さんや、船屋がきたようだから呼んでおくれ」「旦那さま、呼んでまいりました」「おい、船屋さん、船は1枚いくらだい?」「これは、旦那さまで。へい、四(し)文でございます」「四文はいけないな。わたしは四の字はきらいだ、死ぬ、しくじるなどといってな、なんとかいいようはないか。十枚ではいくらだ」「四十(しじゅう)文で」「百枚では」「四百(しひゃく)文」「どこまでやってもだめだな。縁起が悪いから、こんどということにしよう」。ことわられた船屋は「近いうちに、こちらの軒先を借りて首をくくるからそう思え」と、悪態をついていきます。

「まぁ、旦那さま、お気になさいますな。わたしが縁起直しに、いい船屋をさがしてまいりますから」と、一人の船屋を連れてきました。「船屋さん、宝船は1枚いくらだい?」「へぇ、四(よ)文でございます」「よもんはいいね。どのくらいある?」「旦那さまの寿命ほどございます」「えっ、わたしの寿命?」「さぁ、千枚ほどもございましょうか」「そうかい、寿命をよそで売られちゃ困るから、すっかり買いましょう。総じまいになりゃ、用もないだろうから、こっちへ来て一杯おやり」「へぇ、ありがとうぞんじます」

いろいろ聞いていくうち、住まいが長者町、名は鶴吉、子どもの名は松次郎にお竹と、うって変わって縁起がいいので、旦那は大喜びです。「へぇ、どうもごちそうさまで、もうだいぶいただきまして、身体がこう、ひとりでに揺れているところは、宝船にのっているようでございます。「宝船にのっているってのは、うれしいじゃないか」「旦那さま、お宅さまでは、七福神が揃っておりますな」「そりゃ、ありがたいが、どこに揃っているんだい?」「まず、旦那さまがニコニコされてるとこは、生きた大黒さまでございます。それから、ただいまあちらにいらしたのは、お宅のお嬢さまで?」「ああ、家の娘だ」「まるで、生きた弁天さまでございますな」「はっはっは…、娘が弁天さまかい。これは、弁天賃だ、とっておき」「へっへ、恐れ入ります。これで七福神がそろいましてございます」「おいおい、船屋さん、まだ二福だよ」

「あとは、お店が呉服(五福)屋さんですから」


「1月11日はこんな日」

鏡開き…歳神様へおそなえしておいた鏡餅を、神棚からおろして雑煮や汁粉にして食べる「鏡開き」の日です。餅は、刃物で切らずに、手で割り開いたり木槌でわったり砕いたりします。武家社会の風習が一般化した行事です。


「1月11日にあった主なできごと」

1569年 謙信が信玄に塩を贈る…5度にわたる「川中島の戦い」を、甲斐(山梨)の武田信玄と戦った越後(新潟)の上杉謙信は、敵である信玄に塩を贈りました。陰謀で塩を絶たれて困っていた武田方を救うためで、このいい伝えから「敵に塩を贈る」ということわざが生まれました。

1845年 伊能忠敬誕生…江戸時代後期の測量家で、日本全土の実測地図「大日本沿海輿地(えんかいよち)全図」を完成させた伊能忠敬が生まれました。

1851年 太平天国の乱…清(中国)のキリスト教徒である洪秀全が「太平天国」を組織して反乱をおこしました。4、5年後には数十万人もの兵力にふくれあがり、水陸両軍を編成するまでに至りましたが、1864年に鎮圧されました。

1974年 山本有三死去…小説『路傍の石』『真実一路』や戯曲『米百俵』など、生命の尊厳や人間の生き方についてやさしい文体で書かれた作品を多く残した山本有三が亡くなりました。

投稿日:2013年01月11日(金) 05:53

 <  前の記事 鼻の上のどろぼう  |  トップページ  |  次の記事 黒人解放運動を指導したキング牧師  > 

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://mt.izumishobo.co.jp/mt-tb.cgi/2950

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)

         

2014年08月

          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

月別アーカイブ

 

Mobile

児童英語・図書出版社 社長のこだわりプログmobile ver. http://mt.izumishobo.co.jp/plugins/Mobile/mtm.cgi?b=6

プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)