「おもしろ古典落語」の100回目は、『尻餅(しりもち)』というお笑いの一席をお楽しみください。
「ねぇー、おまえさん、おまえさんってば」「なんだよ」「なんだよって、もうすぐお正月がくるんだよ」「むこうが勝手にくるんだい、こっちが呼んだわけじゃねぇや」「よくもまぁ、そんな気楽なことがいってられるね。あたしが針仕事してるっていうのに、なんだと思ってるんだい。子どものものを繕うったって、みんなご近所の子どものものだよ。うちの子のものなんて、まるでありゃしない。せめてお正月には、親の気持ちとして、一枚でも買ってやりたいじゃないか。それなのに、おまえさんの働きがないから、端切れのひとつも買えやしない。おまえさん聞いてるのかい?」
「うるさいな、いいかげんにしろ」「いいかげんにしろじゃないよ……着物はまだしかたがないとしても、近所じゃ、もう餅つきがすんじまったよ。入口の徳さんとこじゃ、秋にあれだけ患っていながら、1斗の餅をついてるじゃないか」「たいしたもんだな」「感心してるばあいじゃないよ。貧乏じゃうちに負けない熊さんとこでさえ、5升の餅をついたよ」「餅ぐらい、どうでもいいだろう」「よくないよ。うちの子が帰ってきて『おっかさん、うちはいつ餅をつくんだい?』って聞かれるたびに、身を切られるようにつらくてさ……せめて、餅をつく音だけでもさせてやったらどうなの」
「じゃ、なにかい、音を出すだけでいいのか?」「そりゃ、気のもんだからさ。少しだけでも…」「よーし、それじゃ音だけさせてやらぁ」「ほんとうかい? うれしいね。で、どのくらいついてくれるの?」「そうだな、おまえがいいっていうまで、ついてやらぁ」「そんなら、お米を頼んでこようか」「ばぁか、米が買えるくれぇなら、なにも心配なんかするもんか」「だって、いま、音だけでもさせてやるっていったじゃないか」「そうよ、近所に餅をつく音をきかせてやりゃいいんだろう」「そうだけど…、どんなことするのさ」
「今夜おそく、子どもが寝たのをみはからって、おれが外へ出て『八五郎さんの家はこちらでございますか、餅つき屋でございます』って、大きな声でいうんだ。そうすれば、近所のやつらも、うちでも餅をつくなと思うだろう」「そんなことしたって、かんじんの餅つきの音がしないじゃないか」「それをさせるんだよ」「どうやって?」「おまえはうつぶせになって、寝ころべ。そうすりゃ、尻が上にくる」「うん」「その尻をおれがたたいて、餅つきの音をだすんだ」「あら、ほんとに餅をつくんじゃないのかい」「あたりめぇよ。だからいったろう、餅つきの音だけさせてやるって」「あきれたねぇ、ほんとにおまえさんって人は、ろくでもないことばかり考えるんだから…」
てなことで、夜中に餅つき屋が登場します。「へぇ、餅つき屋でございます。遅くなってもうしわけございません」「まぁまぁ、餅つき屋さん、ごくろうさま。さぁ、なかにはいって」「おい、おっかぁ、餅つき屋さんも寒いだろうから、いっぺん飲んで暖まってもらえ。それから、そこに紙に包んだもんがあるだろう、それを持ってこい」「おまえさん、紙につつんだものって?」「餅つき屋さんへの祝儀じゃねぇか」「あらっ、この辺じゃ祝儀を出す家なんて一軒もないよ、景気がいいねぇ」
「親方ありがとうございます。こんなにたくさんのご祝儀をいただきまして、仕事にもはげみがでます」「それじゃ、餅つきにかかってもらいましょうか」「それじゃ、おめぇ、臼(うす)をすえろ」「(小さな声で)臼ってなんだい?」「おまえの尻だよ」「尻って…、おまえさん、今夜は寒いからかんにんしておくれよ」「ばかいえ、ここまでしこんでおいて、いまさら止められるか」「ほんとっ、ろくでもないこと考えたもんだ」「では、はじめます。あっ、おかみさん、小桶に水を一ぱいいただきます」「そんなもん、どうするの」「最初に臼をしめらせるじゃないか」「お尻を出すだけでも寒いのに、水なんかつけられてたまるもんかね」「がまんしろいっ、こうしなきゃ、餅つきにならねぇ」
こうして、八五郎はいせいよく、お尻をたたきはじめました。イョッポン、ポンポン…イョッポン、ペッタン、ペッタン…。コラショ、ヨイショ…そらヨイヨイヨイ。そのうち、かみさんの尻は真っ赤になりました。「ああ、痛い、痛い…餅つき屋さん、もう少しやさしくたたいてくれませんか」「いいえ、こうしませんと、せっかくのお米にねばりがでません」「おまえさん、たたくところを替えておくれよ。同じところばかりだと痛くってしょうがないから」「だまってろ、臼が文句いうやつがあるか」「そろそろつき上がりました。じゃあ、こっちに空けますね…と、餅をかえたつもり…」「餠つき屋さん、あとどのくらいつくの?」「へぇ、あとふた臼ばかり」
「えっ、ふた臼も。おねがいだから、あとの二臼はおこわにしてちょうだい!」
「12月28日にあった主なできごと」
1180年 興福寺焼き討ち…平清盛は、5男重衡に命じ興福寺を焼き討ちしました。火は隣の東大寺にも燃え移り、大仏殿をはじめ貴重な宝物が焼失しました。同年4月、源頼政が反乱をおこした際、興福寺の僧兵が加担したことに対する報復でした。
1682年 天和(てんな)の大火…江戸で大火災がおき、3500名もの人が焼死しました。当時16歳だった八百屋の「お七」一家も焼け出されて吉祥寺に避難したとき、お七は寺の小姓と恋仲になりました。火事がおこれば、また小姓にあえるかも知れないと、寺小姓に会いたい一心であちこちに放火したことで、お七は火あぶりの刑になりました。この話はのちに、井原西鶴がとりあげ、浄瑠璃や歌舞伎の題材になって有名になったことで、この大火は「お七火事」ともよばれています。
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