今日12月27日は、双子の兄・白井松次郎とともに「松竹」を創業し、日本の興業界をリードした実業家の大谷竹次郎(おおたに たけじろう)が、1969年に亡くなった日です。
1877年京都の興業師の子として生れた大谷竹次郎は、幼いころから、双子の兄松次郎と芝居小屋で育つうち、母が経営をまかされていた小屋の売店を手伝うようになりました。1895年に、父が新京極「阪井座」の出資者になると、竹次郎はその代理として、18歳の若さで興行師として第一歩をふみだし、1900年には、京都歌舞伎座の座頭となりました。
1902年、兄と自分の名から1字ずつとって「松竹合名会社」を設立すると、1906年に「京都南座」の経営権を握ったのをはじめ、京都、大阪のほとんどすべての劇場をその勢力下におさめました。まもなく、東京「新富座」の買収によって東京にも進出をはたしたことで、竹次郎が関東を、松次郎が関西を受け持つようになりました。
東京の多くの劇場の経営権を握った竹次郎は、1914年「歌舞伎座」の社長に就任すると、舞台のワイド化をはかって、その近代化に成功しました。第1次世界大戦後の1920年には、娯楽の花形となりつつあった映画に進出、「松竹キネマ」を設立して、劇作家小山内薫を招いて映画俳優学校を開くなど、「松竹調」という独自の作風を確立して、松竹映画の黄金時代をきずきました。1937年に「松竹」社長に就任(松次郎は会長)し、演劇と映画という戦前の興行界をリードしました。
太平洋戦争後は、松竹会長として活躍するいっぽう、欧米を中心に歌舞伎海外公演にも力を入れ、世界に「カブキブーム」を引き起こしたことで、1955年に、歌舞伎の伝承発展への貢献を認められ、文化勲章を受章しています。
大谷の成功は、独占した劇場と俳優を休みなく回転させ、ぜいたくな顔ぶれと、道具にも金を惜しまず、月ごとの興業、襲名や追善に名をかりながら豪華さを打ち出したことです。そして、魅力ある舞台にするために、すぐれた作家や演出家、人気俳優にはたくさんの収入を得られるようにし、これまで芝居に縁のなかった女性観客層を発掘したことは、高く評価されています。
「12月27日にあった主なできごと」
1571年 ケプラー誕生…惑星の軌道と運動に関する「ケプラーの法則」を発見したケプラーが生まれました。
1780年 頼山陽誕生…源平時代から徳川にいたる武家700年の歴史を綴った 「日本外史」 を著した学者・歴史家で、詩人・書家としても活躍した頼山陽が生まれました。
1822年 パスツール誕生…フランスの細菌学者・化学者で、狂犬病ワクチンを初めて人体に接種したことなどの業績により「近代細菌学の開祖」といわれるパスツールが生まれました。