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「役者絵」 の歌川豊国

今日1月7日は、江戸時代後期に活躍した浮世絵師の歌川豊国(うたがわ とよくに)が、1825年に亡くなった日です。

1769年、木彫りの人形師の子として江戸に生れた歌川豊国(本名・倉橋熊吉)は、少年期に父の友人だった歌川派の創始者・歌川豊春の門下として学び、1786年には黄表紙の挿絵で処女作を発表すると、豊春風の役者絵や美人画、浮絵といわれる風景画、錦絵など多彩な活躍をするようになりました。

豊国が真価を発揮するのは、1794年頃から描きはじめた『役者舞台之姿絵』の連作で、歌舞伎役者の上半身を大きく描いた「大首絵」です。当時、やはり役者絵で人気のあった東洲斎写楽が画家自身の個性を強調して描いたのに対し、豊国は単調な背景に浮き上がる役者の舞台姿や特長を理想化したことで、江戸の町人ばかりか、歌舞伎役者たちにも好評を博しました。「役者絵の豊国」とよばれるようになり、1796年までの間に40点以上が制作されています。当時は喜多川歌麿の全盛期でもあり、豊国、写楽とまさに浮世絵の黄金時代をきずきあげました。

1804年、『絵本太閤記』のなかにあった図を抜き出して錦絵にした罪で、歌麿とともに手鎖り50日の刑に処されましたが、豊国はその後も役者絵を中心にますます多作になり、山東京伝、式亭三馬、滝沢馬琴らの作品の挿絵、肉筆画も多く描いて、大衆の人気を独占するようになりました。

仁義に厚い人柄をしたって門人たちもたくさん集まり、国貞、国芳らを育て、江戸時代後期の最大の流派となりました。歌川(安藤)広重も入門を希望したものの、門弟が多すぎて断られたということです。

なお、「オンライン画像検索」では、豊国の作品や関連するたくさんの画像を見ることができます。


「1月7日はこんな日」

「七草がゆ」を食べる日…[せり/なずな(ぺんぺんぐさ)/ごぎょう(ははこぐさ)/はこべら(はこべ)/ほとけのざ(たびらこ)/すずな(かぶ)/すずしろ(だいこん)/春の七草] と歌われる7種類の草を入れたおかゆを食べれば、無病息災(病気にならず健康である)という風習です。平安時代以前に中国から伝わったといわれていますが、単なる迷信ではなく、ちょうど正月料理に飽きたころ、冬枯れの季節に青物を補給するという食生活上の効用が指摘されています。


「1月7日にあった主なできごと」

1490年 足利義政死去…室町幕府第8代将軍でありながら政治に興味がなく、11年も続く内乱「応仁の乱」をひきおこすきっかけをこしらえた足利義政が亡くなりました。銀閣寺を建てるなど、東山文化を遺した功績は評価されています。

1835年 前島密誕生…日本の近代郵便制度の創設者で「郵便」「切手」「葉書」という名称を定めた前島密が生まれました。

1868年 征討令…1月3日〜6日の鳥羽・伏見の戦いに勝利した維新政府は、この日江戸城にこもった徳川慶喜に征討令を出し、同時に諸藩に対して上京を命じました。征討軍の総帥は 西郷隆盛。同年4月11日、徳川家の謝罪を条件に江戸城・明け渡し(無血開城)が行なわれました。

1932年 スティムソン・ドクトリン…アメリカの国務長官スティムソンは、この日「満州における日本軍の行動は、パリ不戦条約に違反するもので、これによって生ずる一切の状態を承認することはできない」との声明を発し、日本政府を弾劾しました。これが、太平洋戦争に至るアメリカの対日基本方針となりました。

1989年 昭和天皇崩御・・・前年から容態が危ぶまれていた昭和天皇が亡くなりました。皇太子明仁親王が天皇に即位し、昭和64年は平成元年となりました。昭和は日本の元号のなかでは最も長い62年と2週間でした。

投稿日:2013年01月07日(月) 05:45

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)