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「不倒翁」 周恩来

今日1月8日は、中華人民共和国の建国から亡くなるまで、一貫して首相を務めた周恩来(しゅう おんらい)が、1976年に亡くなった日です。1972年に、日中共同声明に調印したことでも知られています。

1898年江蘇省淮安(わいあん)県の官僚地主の家に生まれた周恩来は、中学卒業後の1917年、日本に留学してさまざまな場所を積極的に見てまわったことで知日派としてのベースがつくられました。1919年に帰国、南開大学に入学した直後、北京から全国に広がった反日、反帝国主義を掲げる大衆運動「五・四運動」が起きると、周恩来は学生運動のリーダーとなって頭角を現していきました。

1920年、パリに留学して社会主義に関心をもち、中国共産党フランス支部を組織して入党。1924年に帰国すると、孫文が広州につくった黄埔軍官学校の政治部主任となりました。1926年には上海に移って上海市民政府を樹立しましたが、入城してきた蒋介石の北伐軍に弾圧されて捕えられ、処刑される寸前に脱出しました。1931年、毛沢東が江西省瑞金に「中華ソビエト」を樹立したことでこれに加わって幹部となりましたが、大攻撃を加えてきた国民党軍に押され、1934年、毛沢東とともに10万もの紅軍と1万2500kmにわたる「長征」に参加、延安に逃れたときは、わずか3万の兵となっていました。

1936年に周恩来は、張学良らによって西安に監禁(西安事件)された蒋介石と会談し、国民党と共産党との内戦を停止し、「国共合体」の合意を取りつけました。1937年に日中戦争が本格化すると、共産党の代表として武漢や重慶で、蒋介石との折衝役となって統一戦線の維持に努めました。1945年日本の降伏後はそのまま重慶にとどまって、連合政府の樹立に向けた国共会談を続けるものの物別れに終わり、国共内戦が始まりました。内戦に勝利した1949年に「中華人民共和国」が成立すると、国務院総理(首相)に就任し、死去するまで27年間この地位にあたりました。

1958年までは外交部長(外務大臣)を兼任し、第1次インドシナ戦争休戦の実現、インドのネルー首相と共同して平和共存・内政不干渉などの平和五原則を発表、アジア・アフリカ会議(バンドン会議)では新生中国がアジア・アフリカの反植民地主義の立場にあることを世界にアピール、ソ連や東欧を訪れるなど、幅広い活動は「談判先生」とよばれ、世界から注目されました。

1960年代に入って中国とソ連との対立が激しさを増し、中国がアメリカ合衆国や日本との国交正常化を求めるようになると、周恩来は両国との交渉の中心となり、1972年にはニクソン米大統領の訪中を実現させ、わが国の田中角栄首相と数度にわたる交渉の上、日中共同声明に調印して日本との国交正常化を実現させました。

1966年にはじまった文化大革命が勃発しても、周恩来は毛沢東をささえ続けました。劉少奇、林彪ら有力幹部のほとんどが失脚、粛清されるなか、周恩来は最後までその地位を保ったために「不倒翁」(起き上がり小法師)といわれています。


「1月8日にあった主なできごと」

1324年 マルコ・ポーロ死去…ベネチアの商人で、元(中国)に17年も仕え 『東方見聞録』 を遺した旅行家マルコ・ポーロが亡くなりました。

1642年 ガリレオ死去…イタリアの物理学者、天文学者で近代科学を拓いた功績者ガリレオが亡くなりました。

1646年 徳川綱吉誕生…江戸幕府の第5代将軍で、当初はすぐれた政治を行ないましたが、やがて「生類憐みの令」をはじめ、悪政といわれる政治を次々とおこなうようになった徳川綱吉が生まれました。

投稿日:2013年01月08日(火) 05:02

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)