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帝政を復活させたナポレオン3世

今日1月9日は、ナポレオン1世の甥で、フランス第二帝政の皇帝となったナポレオン3世が、1873年に亡くなった日です。

1808年、フランス皇帝ナポレオン1世の弟でオランダ王ルイの子として生まれたシャルル・ルイ・ナポレオン・ボナパルトは、1815年に叔父のナポレオン1世が没落したとき、母とともにスイスに逃れ、亡命生活のなかでも「皇帝の甥」としての自覚をもちながら育ちました。やがて陸軍士官学校を卒業後、砲兵士官となりました。兄とナポレオン1世の子の死によりボナパルト家の家長となったルイは、ボナパルト家の帝政復古を夢見て1836年、フランス北東部のストラスブールで反乱をおこすものの失敗、アメリカ合衆国をへて1838年にロンドンに亡命しました。

1840年、フランスに上陸してブローニュで武装蜂起したものの再び失敗、終身禁固の刑を受けてアム要塞に投獄されました。5年半にわたる獄中生活のなかで『貧困の根絶』(1844年)を著して、貧困層に帝政復古をアピールすると、1846年にアム要塞を脱獄してイギリスに逃れました。

1848年、二月革命で第二共和政が樹立されると、フランスへ帰国して国民議会議員に選ばれ、同年12月の大統領選挙に出馬しました。「ナポレオン」の高い知名度によって当選を果たしたものの、大統領の権限は小さなものでした。そのため1851年、国民議会に対するクーデターを起こし、大統領権限を大幅に強化した新憲法を制定しました。1852年には、国民投票のうえで皇帝即位を宣言して念願の「第二帝政」を樹立、ナポレオン3世を名乗ったのでした。

その治世の前半は強圧的な統治でしたが、1860年代には自由主義的な統治をするようになり、内政では金融改革を起こして銀行を優遇し、鉄道や工業を発展させ、パリの大改造や、第2回万博などで、フランスの経済力を飛躍的に安定させました。いっぽう外交面では、クリミア戦争でイギリスと同盟してロシアに勝利したばかりか、中国とのアロー戦争、イタリア統一戦争ではイタリア統一にブレーキをかけ、インドシナの占領など、フランス植民地は治世前の約3倍に領土を拡張させました。

しかし、メキシコ遠征の失敗や労働者の力が強まったことで、国内的な地位を弱めはじめました。ナポレオンは、独裁をゆるめて対処しようとしたものの、プロイセン王国宰相のビスマルクに策動されて、1870年、準備不足にもかかわらず普仏戦争へ突入したことが致命傷になりました。緒戦から連敗し、セダンの戦いでプロイセン軍の捕虜になったために、パリにクーデターが発生して退位を余儀なくされ、フランスは第三共和政へ移行していくことになりました。

プロイセン軍から釈放された後はイギリスへ亡命、クーデターを起こす計画をするものの、同国で病死しました。


「1月9日にあった主なできごと」

802年 胆沢城…794年に史上初の征夷大将軍となった坂上田村麻呂は、現在の盛岡市近辺に胆沢(いざわ)城を築城。胆沢城は、およそ150年にもわたって東北の蝦夷地政府ともいうべき[鎮守府]として機能しました。

1891年 不敬事件…3年間のアメリカ留学でキリスト教徒となった内村鑑三は、前年から第一高等中学校の講師として、この日講堂で挙行された教育勅語奉読式において、天皇親筆の署名に最敬礼をおこないませんでした。それが同僚・生徒などによって非難され、社会問題化しました。

1905年 血の日曜日…ロシア帝国の首都サンクトペテルブルクの冬宮前広場で行われた労働者によるデモに対し、政府の兵士が発砲、2000人もの死傷者を出しました。この日曜日におきた事件は、ロシア第1次革命の発端となりました。

投稿日:2013年01月09日(水) 05:17

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)