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水屋の富

「おもしろ古典落語」の92回目は、『水屋(みずや)の富(とみ)』というお笑いの一席をお楽しみください。

江戸時代には、本所、深川といった土地の低いところでは、井戸を掘っても塩気があったりして、飲み水には適していません。そこで、多摩川上流の水を船でくみ込んで運び、河岸についた水をかついで、長屋のおかみさんに売りにいく水屋という商売がありました。でも、この商売は、身体のつらいわりにはあまりもうかりません。ある若い水屋が腕組みしながら、ひとりでぼやいています。「わしも、かれこれ十年あまりも水屋をやってきたなぁ。少し楽になったら、かみさんをもらって…と思っても、いまだに楽になれない。このまま年をとったらどうしよう。ああ、金がほしいなぁ…、富くじで買ってみるか」

そのころ、ほうぼうに富くじがありまして、「江戸の三富」といわれたのが湯島の天神、谷中の感応寺、目黒の不動、大きい富はここに集まっていました。『突き日には 湯島湧くほど 人が出る』と川柳にありますように、当日は黒山の人だかりです。どう運が向いたものか、この水屋に千両富が当たってしまいました。「うわーッ、あ、あ、あたっちゃった」興奮して引き換え所に行くと、2か月待てば千両まとめてもらえるが、今すぐだと2割差し引かれて800両だといいます。水屋はすぐにほしいからと、持ち帰ることにしました。入るだけ腹巻に入れ、両袖にいっぱい入れてもまだ持ちきれないので、股引きを脱いで足首を結んで袋にしにて小判を入れます。そいつを肩から首に巻いて背負うと、よたよたしながらわが家へ帰ってまいりました。

「あーありがてぇ、これだけありゃ、もう水屋なんてやめてもいい。しかし、すぐにやめるわけにはいかねぇな。だれかかわりをみつけてからでないと、長屋のおかみさんたちがこまってしまう。かといって、小判を背負っちゃ、水なんぞくめねぇし、井戸をのぞいたとたんに落っこちたら、もう二度と浮かんでこねぇしな。そうだ、この小判をどっかに隠しとけばいいんだ、隠しといて、知らん顔で商売に出りゃ、だれも気がつかねぇ……。待てよ、ひょっとすると、おれが富に当たったってことを、だれかが知っていて、留守のあいだにこっそり入ってきて、とられちゃったら困るしな、さぁーて、どうしよう……」いろいろなことが頭に浮かんで、よく眠れません。

そしてあくる日、小判を大きな風呂敷へくるんで、戸棚にあるつづら中のボロ布の下に、そうっーと隠してふたをしました。「うん、これなら大丈夫だな……。だが、待てよ、泥棒なんてやつは盗むのが商売だから、戸棚を開けて、つづらを出して、ふたをとって、ボロの下をかきまわすな、こりゃだめだ」そのうち神棚に乗せて、神様に守ってもらおうと気が変わりました。ところが、よく考えると、神棚に大切な物を隠すのはよくあること。泥棒が気づかないわけがないとまた不安になりました。結局、畳を一枚持ちあげで床板をはがし、その下の丸太が一本通っているのに五寸釘を打ちこみ、先を曲げて金包みを引っかけ、上へ床板をはって、畳をもと通りにおさめました。これで一安心と商売に出ましたが、すれ違った人相の悪い男が実は泥棒で、自分の家に行くのではないかと跡をつけてみたり、一時も気が休まりません。帰ってきて、夜になると、竹竿を持ってきて縁の下をかきまわし、コツンと金包の音がするかを確かめ、小判の真上あたりにふとんを敷いて寝ました。

ウトウトすると夜中に、「やいやい、起きろ! てめぇんとこは、富に当たったんだろ、さぁ、出せやい」「そ、そんなものは、あ、ありません」「なに? ないってことがあるか、八百両をどこへ隠した。出さねぇと、ほら、これが目に入らねぇか」キラッと光る氷の刃がほっぺたへ…。ブルブル震えながら、はっと起きると夢でした。強盗に入られるこんな夢を、毎晩のように見てうなされるうち、今でいうノイローゼになってしまいました。

ちょうどそのころ、隣の長屋に人相のよくない男が引っ越してきました。きまった仕事もないとみえて、朝から酒を飲んでぶらぶらしてるうち、水屋が毎朝、竹竿を縁の下に突っこみ、帰るとまた同じことをするのに気がつきました。これはなにかあると、留守に忍びこんで畳をはがすと、案のじょう金包み。取り上げるとずっしり重い。しめたと狂喜して、そっくり盗んでそのままどことなくドロンをきめこんでしまいました。日暮れに帰ってきた水屋、いつものように、竹竿(たけざお)で縁の下をかき回すと「おや? 音がしないぞ」畳をはがしてみると、金は影も形もなくなっています。

「あッ、とうとう盗られちゃった。やれやれ、これで苦労がなくなった」


「11月2日にあった主なできごと」

1755年 マリー・アントアネット誕生…フランス国王ルイ16世の王妃で、フランス革命の際に国外逃亡に失敗、38歳の若さで断頭台に消えた悲劇の王妃マリー・アントアネットが生まれました。

1942年 北原白秋死去…『赤い鳥小鳥』『あわて床屋』『からたちの花』など800編もの童謡の作詞を手がけた詩人・歌人の北原白秋が亡くなりました。

1973年 トイレットペーパー買いだめ騒動…10月におきた第4次中東戦争が引き金となり、第1次オイルショックと呼ばれる石油価格高騰がおこり、品不足への不安から全国のスーパーにトイレットペーパーを求める主婦が殺到しました。

投稿日:2012年11月02日(金) 05:04

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)