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クモ駕籠

「おもしろ古典落語」の90回目は、『クモ駕籠(かご)』というお笑いの一席をお楽しみください。

むかしの街道には、駕籠をかつぐ「くも助」というのがいました。なぜこんな名がついたかといいますと、住んでいるとこが決まっておらず、今日は東、今日は西と、浮雲のようにフワフワしているからという人と、所どころに網を張ってお客をつかまえるから、ちょうど虫のクモのようだという人がいますが、どちらが正しいか、こんどクモにあったら聞いてみてください。

「ええー、駕籠、駕籠はいかがですか」「今日はまだお客さんがありません。ひとつ乗ってくださいよ」「いらないよ」「そんなこといわずに、お安くしときますから」「乗ってやらねぇこともないが、もう一度、よび声をやってみてくれねぇか」「へぇ、では、ええー駕籠、ええー駕籠」「ええ駕籠って聞こえるが、ちっともよくねぇや、ずいぶんきたねぇ駕籠だな」「それじゃ、へぇー駕籠、へぇー駕籠」「屁ぇ駕籠だと? そんな駕籠じゃ、くさくっていけねぇ」「くだらないこといってないで、人間二人助けると思って、乗ってくださいよ」「じゃあ乗ってやろうか。よっこらしょ、そら乗ったぞ」「で、どちらまで?」「すぐ向かいの家だ」5、6歩あるいたら、もう家についています。ひどい客がいるもんで……。

「これ、これ、駕籠や」「おう、相棒よ、こんどの客はお侍だ。言葉をていねいにしろよ」「駕籠は二丁であるぞ」「へい、ありがとう存じます」「前の駕籠がお姫さま、後ろが乳母さまじゃ。その駕籠のうしろから荷持ちが二人いく。その後を供ぞろいのものが十人ほど……」「たいそうな行列でございますな。じゅうぶん気をつけて、かつがせていただきます。もう一丁は仲間を呼びます。で、そのお姫さまは、どちらにいらっしゃるんで」「いや、そういう駕籠がここを通らなかったか、聞いておるのじゃ」またまたギャフン。

次は酔っぱらい。「だんな、いいごきげんだね」「なにぃ? おれが機嫌よく酒をのんだのか、やけくそで飲んだのか、おまえは知ってるのか?」「こりゃ、悪い酒だよ……だんな、お駕籠はいかがですか?」「そんな大きなもんはいらん。持って歩けん」「持って歩くんじゃなくて、お乗りになりませんか? それにしても、ずいぶんお飲みになりましたね」「おまえ、おそめって仲居を知ってるか? 色の白い、鼻の横にホクロのある、可愛いらしい仲居さん。おそめは進め上手でな、お銚子を15本も空にしてきた。安い上に、ほれ、肴の残りを竹の皮に包んでくれたぞ。おまえ、ウソだと思ってるだろ」「思ってませんよ」「おまえ、おそめって知ってるのか?」「はいはい、色白の、鼻の横にホクロのある可愛い仲居さん」「おまえは、なんでおそめを知ってるんだ……」「ありゃりゃ、駕籠に頭つっこんで寝ちまいやがった。こら、起きろ」

「ああ、もうこりゃさんざんだなぁ」とグチっていると、置きっぱなしにしておいた駕籠の中から顔を出して呼ぶ声がします。「品川まで、すぐにやってくれ」「がってん、承知のすけ」やっとまともな客が乗ってくれたと、二人の駕籠屋は肩を入れて、ヨッコラショとかつぎます。「おう、相棒よ、何だか重くないか?」「うん、重い、相撲取りでも乗せたんじゃないのか」それもそのはず、駕籠の中では、ふたりの男がほくそえんでいました。「ふふふ、うまくいきましたな」「一人分の駕籠代で二人とは、いい思いつきでしたな」「駕籠屋も気がついてないみたいですよ」「でも、さすがに狭いですな。こう抱きあってると、相撲でもとってるみたいで…」「このあいだ、回向院で見た相撲はよかったなぁ」「そうそう、大関同士がこう右を差して、頭をつけてググーッと押した」「こっちは、なにくそと土俵際まで押しかえす…」「そうきたか、ドッコイショとのこる」駕籠の中で相撲をはじめたからたまりません。メリメリっと駕籠の底がぬけ、かついでいる駕籠屋はびっくりぎょうてん。「お客さん、冗談じゃないよ。二人も入っていて、おまけに底がぬけたじゃないか」

「ごめんごめん、つくろい代は払うから、そのままやってくれよ」「底がぬけた駕籠なぞ、かつげないよ」「あたしたちも中でかついで歩くから、大丈夫だよ」「こんな駕籠、かついだこたぁない」「こっちも、こんな駕籠かつがれたことがない。まぁ、いいじゃないか、はじめて同士でおもしろいから、このままいこうよ」

こうして、世にも不思議な珍道中が出現しました。「おとっつぁん、へんな駕籠が来たよ! 駕籠のなかから足が四本でててね、駕籠屋の足とあわせると八本あるよ。あの駕籠いったい、なんという駕籠だろうね?」

「そうかい、それが本当のクモ駕籠だ」


「10月19日にあった主なできごと」

1956年 日ソ国交回復…「日ソ共同宣言」をモスクワで正式調印し、国交が回復することになりました。1951年に日本と連合国48か国とのあいだで講和条約が成立していましたが、ソ連がこの条約調印をしなかったため、国交がとだえたままでした。これにより、日本は国際連盟に加盟することができました。

1987年 ブラックマンデー…ニューヨークの株式市場で、株価が22.6%の下落という史上最悪の下げ幅を記録し、世界各国の経済を大混乱におとしいれました。

投稿日:2012年10月19日(金) 05:23

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)