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鍬形

「おもしろ古典落語」の86回目は、『鍬形(くわがた)』というお笑いの一席をお楽しみください。

「甚兵衛さん、いるかな? こんにちは」「おや、留さんかい、おあがり」「あがってますよ、火鉢のかげです」「あっ、いたいた、かくれんぼかい?」「そんなものやりませんよ、ねぇ、甚兵衛さん、あたしはどうして、こんなに小さいんでしょ。二尺二寸(68センチ)しかありません」「そりゃ、生れつきだよ。気にすることないじゃないか。浅草の観音さまへいってごらんよ。観音さまは一寸八分(5.5センチ)しかないのに、大きな仁王を門番にしたがえて、18間(33メートル)四方のお堂に住んでるじゃないか」「なるほど…」「着物をつくるときだって、ほんの少しの生地ですむ。おかみさんだって、金がかからないって喜んでるだろう」「それにしても小さすぎます。なにかいい方法はありませんかね?」

「そうだ、相撲のけいこをしてみる気はないか?」「大きくなりますか?」「なるとも、それに強くなる。むかし大坂に、鍬形という力士がいた。これが小さかった。とはいってもおまえより少し大きいが、三尺二寸(97センチ)だった」「それじゃ、弱かったでしょう」「それが、関取というくらいだから、強かった」「へぇ、どのくらい強かったんです?」

「ある時大坂の相撲が江戸へきて、鍬形が無敵の大関・雷電為右衛門(らいでんためえもん)をやっつけたという話がある」「えっ、あの雷電為右衛門をですか?」「その雷電だ。六尺五寸(197センチ)、45貫(170キロ)はあろうという大男、身長はゆうに倍以上、まともならぶつかったら、勝てっこない。そこで鍬形は考えた。体じゅうに油をぬってはかわかしして、つるつるにした。立ち上がると土俵の中をくるくる回って逃げ回るので、なかなかつかまらない。それでも、やっとのことで追いつめて捕まえようとすると、つるっとすべりぬけてしまう。そのうち鍬形は、すきをみて雷電の股をくぐってうしろへぬけると、力いっぱい膝のうしろのへこんだところを突いた。すると雷電ばたっと両手をついて負けてしまった」「へぇ、たいしたもんだ」「前代未聞の大一番。満場は爆笑の渦。のちに鍬形は、この雷電と義兄弟の縁を結び、名力士として名をなしたということだ」

「そりゃー、すごい。こんど友だちが馬鹿にしやがったら、この話をしてやります。これからあたしも力士になって、二代目の鍬形になりたいと思いますが、なれるでしょうか」「おまえも、いっしょうけんめいやったらなれないこともないが、しんぼうできるかな」「力士になれるんなら、どんなしんぼうもします」ということになって、小男の留さんは甚兵衛さんに紹介されて、ある相撲部屋に入って修行を積みはじめました。ある日、稽古につかれて、腹ペコで家に帰ったものの、めしのしたくはまだなので、ひと寝入りします。

「さぁ、おまえさん起きな、ごはんのしたくができたよ」「うむ、おや、おや…」「どうしたの?」「おっかぁ、こりゃてぇしたもんだ」「なにがさ」「相撲のけいこをすると、ふしぎなもんだ」「なにがふしぎなのよ」「だって、おめぇ、からだがどんどん大きくなる。ふとんから、足が三寸(10センチ)ばかり出てる」

「そりゃおまえさん、出るのがあたりまえだよ。座ぶとんだもの」


「9月21日にあった主なできごと」

1933年 宮沢賢治死去…「雨にも負けず」などの詩や 『風の又三郎』『銀河鉄道の夜』『セロ弾きのゴーシュ』 などの童話を著した宮沢賢治が亡くなりました。

1954年 御木本幸吉死去…真珠養殖の成功と、そのブランド化などで財をなした御木本幸吉が亡くなりました。

投稿日:2012年09月21日(金) 05:59

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)