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良妻に支えられた山内一豊

今日9月20日は、信長、秀吉、家康に仕え、妻「千代」の内助の功で立身出世したことで知られる武将で、初代土佐藩主となった山内一豊(やまのうち かずとよ)が、1605年に亡くなった日です。

岩倉織田氏の重臣・山内盛豊の子として1546年に生れた一豊でしたが、岩倉織田氏が同族の織田信長と対立するうち、父や兄も戦死して一族は離散、諸国を流浪するようになりました。やがて1568年ころに一豊は、織田信長に仕え、木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)の与力となったことがわかっています。

1570年9月、信長と浅井との戦いとして名高い「姉川の戦い」に初陣をはたし、1573年8月の朝倉氏との戦いでは、重傷を負いながらも敵将を討ちとった功績で近江国長浜に400石を与えられ、安土城下に住むようになりました。「妻・千代」と結婚したのもこの年のことでした。さらに、秀吉の中国地方経略に加わって活躍し、1577年には播磨国を中心に2000石を領するようになりました。

1583年の「賤ヶ岳の戦い」では、その前しょう戦の伊勢亀山城攻めで一番乗りの手柄をあげ、1585年には、近江長浜城主として2万石を領するようになり、1590年の小田原征伐に参戦後、遠江国掛川に5万1000石もの所領を与えられるなど、出世街道をすすみました。

1598年の秀吉死後は、五大老のひとりとなった徳川家康に乞われて会津の上杉景勝の討伐に参加し、石田三成らが挙兵すると家康の東軍に加わりました。関ヶ原の戦いでは毛利・長宗我部軍などの押さえを担当、大きな手柄はなかったものの、掛川城を家康に提供するなど、戦前の功績が高く評価され、徳川方にくみした軍功により土佐国9万8千石を与えられ、その後の加増により20万2600石を領するまでになりました。

さて、良妻賢母を称えるときに、必ずあげられるのが「山内一豊の妻(千代)」の名です。それは1581年、織田信長が「京都馬ぞろえ」という、軍馬を集めて検分するという儀式を行ったとき、みごとな駿馬をみつけ、それが一豊のものと知って賛辞を与えたという次のようなエピソードが残されているためです。

一豊は、安土の城下で売りに出されていた駿馬を見かけ、馬ぞろいに出したいと思ったものの、黄金10両という金がありません。それを惜しむ一豊に、千代は10両を差し出しました。嫁入りのとき、母から10両を授かりましたが『どんなに貧窮しても手を付けてはならぬ。夫の火急の折にこそ用立てよ』と念をおされていました。今こそ火急の時と知った千代は、一豊に10両を差しだしたものでした……。


「9月20日にあった主なできごと」

1806年 喜多川歌麿死去…江戸時代に活躍した「美人画」の浮世絵師 喜多川歌麿が亡くなりました。

1943年 鈴木梅太郎死去…ビタミンB1が脚気の治療に効果があることをつきとめ、糠から「オリザニン」を取りだすことに成功し、脚気の不安から人びとを救った農芸化学者 鈴木梅太郎が亡くなりました。

1945年 墨ぬり教科書…敗戦後のこの日、文部省は新しい教科書の印刷が間に合わないため、戦時中につくられた教科書で、軍国主義的内容を削除するように通達しました。そのため先生は、生徒に削除する部分を墨でぬりつぶさせました。

投稿日:2012年09月20日(木) 05:38

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)