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蚊戦

「おもしろ古典落語」の84回目は、『蚊戦(かいくさ)』というお笑いの一席をお楽しみください。

「ごめんください、剣道の先生」「これはこれは八百屋の久六さん。最前、稽古を終えて帰られたばかりなのに、また出張ってまいったか?」「じつは先生、しばらくの間、稽古を休ませてもらいたいんです」「稽古は毎日続けるからこそ、実になる。一日休むと身体はなまってしまうぞ」「あっしもつづけたいんですが、夜な夜な蚊がでますもんで」「おかしなことを申すのう。なんで『蚊が出るから稽古を休む』のじゃ」「じつは蚊帳(かや)を質屋に入れたんですが、銭がないもんで、出せないんです。で、かかぁのお里が『稽古を休んで商いに身を入れろ。おかげでこの夏じゅう、親子で蚊にくわれ通し。ほとほと愛想が尽きたから、別れて子どもをつれて家を出る』と、こういうんです」

「では、蚊が出てこなくなりゃ、稽古もつづけられるであろう。今宵、蚊と一戦交えなさい」「えっ、蚊と戦うんですか? それじゃ、あっしは大将ですね」「ただの大将じゃ敵にあなどられる。大名になりなさい。城持ち大名じゃ」「城なんてありませんよ」

先生がいうには、住まいの長屋が城、おかみさんは北の方、子は若君。家の表が大手、裏口がからめ手、引き窓が櫓、どぶ板が二重橋。蚊と戦をするのだから、暮れ方になると大名の陣から、ノロシを上げる。つまり、長屋中いっせいに蚊いぶしの煙を上げるが、久さんの「城」にだけはノロシを上げない。敵は空き城だと油断して一斉に攻めてくる。そこを十分に引きつけて、大手、からめ手、櫓を閉め、そこでノロシ(蚊いぶし)を上げて、敵が右往左往するところで四方を明け放てば、敵軍は雪崩を打って退却する。あとをしっかり閉めて「煙くとも末は寝やすき蚊遣かな」で、ぐっすり安眠できるといいます。怪しげな戦法ですが、久さん、すっかり感心して、家に帰ります。

「お里さん、向こうから変なかっこうで帰って来たのお前さんの亭主じゃないかい。肘はって、妙に威張って歩いているよ」「あ、そうだよ、どうしちまったんだろ」「寄れーい、寄れい。今日からおれは大名だ。お前は北の方」というぐあいに、先生のいった手順通りことを進めます。「……それ、敵が攻めてきた。北の方、ノロシの支度を」「なんだい、ノロシってのは」「蚊いぶしを焚けってんだ」ゴホンゴホンとむせながら、それでもようやく敵を退散させて勝ちいくさ。

「やぁやぁ、蚊の面々。敵に後ろを見せるとは卑怯千万、尋常勝負、返せ、もどれ」「よびもどすことはないだろうよ」「どうだ、北の方、蚊はこれにこりて、二度と攻めてこないぞ」「安心して寝られそうだね」ブーーーーン……。「北の方、どうやら落武者でござる」ブーーーーン。ポンとつぶして、「大将の寝首をかこうとは、敵ながらあっぱれ、死骸をそっちへ」ブーーーーン。「またもや、落武者」「お前さんのおでこに止まってるよ」「今度は縞の股引きをはいているから、雑兵だな。旗持ちの分際で大将に歯向かうとは……ポン」ブーーーーン、ポン。ブーーーーン、ポン……。「お前さん、大変な落武者だよ、なんとかしておくれよ」

「仕方がない。北の方、城を明け渡そう」


「9月7日にあった主なできごと」

1533年 エリザベス一世誕生…1558年、25歳のときから45年間イギリスをおさめ、おとろえかけていたイギリスを、世界にほこる大帝国にたてなおしたエリザベス一世が生まれました。

1962年 吉川英治死去…『宮本武蔵』『新・平家物語』『新書太閤記』など人生を深く見つめる大衆文芸作品を数多く生み出して、国民的作家として高く評価された吉川英治が亡くなりました。

投稿日:2012年09月07日(金) 05:08

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)