今日9月6日は、フランスの絶対君主ルイ14世の財務総監を長く務めたコルベールが、1683年に亡くなった日です。
1619年、フランス北部の町ランスの毛織物商人の家に生れたジャン・バティスト・コルベールは、20歳のころから政府関係で働きはじめ、1651年からルイ14世の宰相マザランの財政管理を任され、その手腕が認められようになりました。1661年にマザランが死去するとルイ14世の財務担当となって実権を握り、1664年、財務総監に就任すると以後20年以上にわたって、「太陽王」ルイ14世による絶対主義絶頂期の財務を担当しました。
陸軍大臣や外務大臣と並ぶルイ14世の側近となったコルベールは、財政再建に取りかかり、政府とゆ着していた金融業者を摘発、赤字解消に尽しました。はん雑な間接税を整理して、特定の個人との一括請負契約とする徴税請負制を確立、直接税の軽減につなげました。さらに、貨幣の獲得を重視する「重商主義」を打ちだしました。この政策は、金銀鉱山を開発して貨幣をたくわえる「重金主義」と、輸出を増やして国内に貨幣を蓄える「貿易差額主義」の2つの政策からなるものでした。
また、外国からの労働者の移入を禁じ、輸入品への関税を重くするなど保護主義的な政策をとり、マニュファクチュア(工場制手工業)の設立・保護や外国人技術者の招へいと技術の発達、国内の道路整備・運河開拓、ガラス・織物・陶磁器などぜいたく品の製造にも力を尽くしました。
いっぽう、イギリスやオランダに対抗してフランス東インド会社を再建させたり、西インド会社などを設立してフランス市場の開拓や植民政策を推進しました。17世紀前半に発見されたカナダのケベックに初めて大規模な植民団を派遣したり、フランス領ルイジアナにも植民をうながし、貿易船の防衛のため海軍の強化も行うなど、こうした一連の政策は、のちに「コルベール主義」とよばれています。
そのほか、パリ天文台や科学アカデミー(現在のフランス学士院)の設立にも関わり、文化人や科学者を援助するなど文化面でも影響を与え、ルイ14世を称えるために王をモデルとした彫刻や絵画を描かせ、芸術に理解のある王という評判のけん伝にも尽くし、フランス文化の向上・発展にもつなげました。
きわめて有能な人物でしたが、近寄りがたい性格からか、宮廷内では「大理石の人」とあだ名されていたそうです。
「9月6日にあった主なできごと」
1522年 初の世界周航…スペイン王と西回りでアジアの香辛料を入手する契約を結んだマゼラン隊の一せきが、人類初の世界一周をはたしました。
1858年 広重死去…「東海道五十三次」などの風景版画の傑作を描き、フランス印象派の画家やゴッホ、ホイッスラーらに大きな影響を与えた、浮世絵師・安藤(歌川)広重 が亡くなりました。
1998年 黒沢明死去…『羅生門』『生きる』『七人の侍』『赤ひげ』 など、数多くの名作映画を生み出し「世界のクロサワ」と讃えられた映画監督 黒沢明が亡くなりました。