児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ Top >  おもしろ落語 >  皿屋敷

皿屋敷

「おもしろ古典落語」の80回目は、『皿屋敷(さらやしき)』というお笑いの一席をお楽しみください。

播州赤穂の江戸屋敷に「皿屋敷」というのがありまして、お菊という幽霊が出るといううわさがありました。「ご隠居さん、そんな話知ってますか?」「なんだ熊さんは、そんな有名な話も知らねぇのか?」「知らねぇから聞いてるんです」 「むかし、青山鉄山というさむらいが住んでいて、腰元にお菊という絶世の美女が奉公していたんだ」「ふーん」「鉄山はこのお菊が好きになって、わがものにしようと口説いた。ところがお菊には三平という夫のある身だから、いかに主人の命とはいえ、どうしてもなびかない」「なーるほど」「そこで鉄山、可愛いさあまって憎さ百倍ということになる。家宝の皿十枚をお菊に預け、一枚をそうっと隠し、客があるから皿を出して数えてみろと、こういったんだ」

「一まい二まい三まい四まい五まい六まい…」「その次はあっしにやらしておくんなさい。七まい八まい九まい十まい…でしょ。そんな勘定なら、あっしでもできらぁ」「その十まい目がない。『一まい足りないじやないか、さぁどうした』『わたしは、知りません』『知らぬことはあるまい、おまえが盗んだにちがいない』ということで、鉄山はお菊をなぐる、ける。あげくのはてに、お菊を井戸につるすと、上げたり、下げたり…」「そんなことしたら、お菊さん死んじまうじゃないですか」「そんなことはおかまいなく、鉄山はビシビシ何十回となく、打ちたたいた」「なんだか、聞いてるこっちの身体が痛くなっちまう」「お菊は息も絶えだえに『たとえこの身はなくなっても、盗みの汚名が悲しゅうございます』といったが、おのれっ、強情女めっ、と斬り捨てた」「ひでぇことする野郎だ」

「すると、人の恨みは恐ろしい。それ以来、毎晩、井戸からお菊の幽霊が出て、うらめしそうな声で『一まい二まい三まい四まい…』と、皿の数をかぞえるんだ。九枚までかぞえ終わると「ヒヒヒヒヒ」と笑うから、鉄山は悪事の報いか、ノイローゼが高じてとうとう狂い死にして、家は絶えたということだ」「そいつはいい気味だ。で、それはいつごろの話なんで?」「ずいぶん昔の話だ。しかし、幽霊は今もでるよ」「えっ、今も?」「うそだと思ったら、行って見てくりゃいい」

こういうことを聞くと、すぐに自慢したがるのが人の常で、たいくつしのぎに見物に行こうという罰当たりな連中が続出して、毎晩井戸の周りは、押すな押すなの大盛況。人出をめあてに、屋台のうどん屋は出る、一杯飲ます酒店も出る。なかには「お菊さんへ」と書いて、贈り物をするような人も出て、まるでお祭りのよう。いよいよ丑三ツ時(うしみつどき=今の夜中2時ころ)、なま暖かい風が吹いてきたかと思うと、井戸のまわりに青い火がチョロチョロと燃え上がると、お菊が登場して、「いちまーい、にまーい……」数えはじめると、「お菊ちゃん、こっち向いて」と、まあ、うるさいこと。お菊もすっかりその気になり、常連には、「まあ、だんな、その節はどうも」と、あいきょうを振りまきながら、張り切って勤めるので、人気はいや増すばかりです。

ところがある晩。いつもの通り「一まぁい、二ぃまぁい」と数えだしたはいいものの、「九まぁあい、十まぁい、十一まぁい」……とうとう十八まいまできました。「おいおい、お菊ちゃん。皿は九まいで終わりじゃねぇのか?」

「明日休むから、二日分数えとくのさ」


「8月3日にあった主なできごと」

1792年 アークライト死去…水力紡績機を発明するなど、イギリスにおこった産業革命の担い手となったアークライトが亡くなりました。

1862年 新渡戸稲造誕生…国際連盟事務局次長などを通じ、日本の国際的な発展に寄与した教育者 新渡戸稲造が生まれました。

投稿日:2012年08月03日(金) 05:30

 <  前の記事 「豊後聖人」 三浦梅園  |  トップページ  |  次の記事 人道主義の長与善郎  > 

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://mt.izumishobo.co.jp/mt-tb.cgi/2809

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)

         

2014年08月

          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

月別アーカイブ

 

Mobile

児童英語・図書出版社 社長のこだわりプログmobile ver. http://mt.izumishobo.co.jp/plugins/Mobile/mtm.cgi?b=6

プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)