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汲みたて

「おもしろ古典落語」の79回目は、『汲(く)みたて』というお笑いの一席をお楽しみください。

長屋に住んでる連中には、暇な人がたくさんいるようで、髪結床で将棋をさしたり、歌や踊りの師匠のところへ通ったりしています。とくに美人の常磐津(ときわづ)の師匠でもいようものなら大変です。

「おぅ、いるな、師匠のとこにいってるか? あんまり見かけねぇようだけど」「いってるよ。おれはみんながこねぇうちいって、早く帰ってくるんだ」「なんだと? さてはおまえ、みんなを出しぬいて、師匠にゴマすってやがんな。どうも師匠を見るときの目つきがおかしいと思ってた。師匠と所帯を持ちてぇなんたって、そうはいかねぇぞ」「ちがうったら」「わかってんだよ。おめぇなんぞは師匠が相手にするわけがねぇ、いってたぞ師匠が…」「なんだって…」「子どもでもやれる唄を1年たってもおぼえない、あの人はもう唄なんぞやめたほうがいいのにって」「おめぇはどうなんだ」「芸熱心よ。おめぇとはじめたあの唄をなぁ…」「もう、とっくにあげちまったのか?」「いや、ずうっとこの一年、あきずにおそわってる」これじゃどうも、同じようなものでして。そこへ似たような連中が集まってきて、「野郎が四度稽古してもらったのに、なんでおれはまだ二度なんだ」とか、「膝と膝を突き合わせて、間違えたらツネツネしてもらえるから、唄より三味線を習おう」とかワイワイやっています。

「師匠はどうやら建具屋の半公とできてるらしい」と、留さんが、いいだしたもので、一同の顔色が変わりました。なんでも、師匠の部屋へ入ってみると、半公が主人然として、師匠と長火鉢越しのさし向かい。火鉢が真ん中。半公向こうの師匠こっち、師匠こっち半公向こう。やがて半公がすっと立つと、師匠もすっと立ち、ぴたっと障子を閉めて、中でコチョコチョじゃれついていたというから、穏やかではありません。

「あぁ、いいあんばいに与太郎がきやがった。与太、おめぇ、いま師匠の家にいるんだろう」「うん、いるよ。女中さんが病気になってうちへ帰ったから、手伝いにいってる」「それじゃおめぇに聞くけど、師匠んとこへ泊りにくる男の人があるだろう」「よく知ってんね」「だれだ」「あたい」「なにをいってやがる…ほかに男の人がくるだろ。建具屋の半公なんか…」「うん、くるよ」「師匠と仲がいいんだろ?」「でも、こないだけんかしたよ」といいます。この前、二人が大げんかして、半公が師匠の髪をつかんでポカポカなぐったが、その後、「いやな奴に優しくされるより、好きな人にぶたれた方がいい」と、師匠がいったとか。そういえば与太郎、今日はいつになくいい身なりをしているので聞いてみると、師匠と半公のお供で柳橋から船で夕涼みにいくのだといいます。

「なんでぇ、それならちょっと声をかけてくれりゃ、こっちだってつきあうんじゃねぇか、気がきかねぇな」「だめだよ、お師匠さんがいってた『あの有象無象(うぞうむぞう)どもにいうとうるさいから』って」「何だ、その『うぞうむぞう』ってぇなあ」「おそくなると叱られるから、いくよ」「こんちくしょうめっ、聞いたか? おれたちゃ、うぞうむぞうだとよ。なんでぇ、師匠が町内にころがりこんできたとき、どんなざまぁしてきやがった? おれたちが弟子ついてやって、やっと近ごろ、それらしくなってきたんじゃねぇか、これからいって師匠んちをたたっこわして、火つけようじゃないか」「おいおい、お待ちよ、そんな乱暴したってしょうがねぇ、仕返しするにもやりかたがあるだろ。どうだ、おれたちも船にのって、あいつらが涼んでるそばへいくんだ。そこで、ばかばやしなんかで、わって騒ぐ寸法ってのはどうだ」と、相談がまとまりました。

さて数刻後。「ちょいと、半ちゃんごらんよ、こうして涼んでると、命の洗濯だね。ちょいと与太さん、お燗ができたら、こっちへ持ってきておくれ」半公がいよいよ端唄(はうた)をうなり出すと、例の連中が待ってましたとばかり、スケテンスケテン、スケテンテン、ピーヒャラドンドン、チャンチキチャンチキ…。「やあ、お師匠さん、見てごらん。うぞうむぞうが真っ赤になって太鼓をたたいてら、やぁい、うぞうむぞう」「うるせえ、てめえはひっこんで、半公を出せ」「なんだ、なんだ、てめぇたちか、おれに何か用か」「やい、こんちくしょうめ、こそこそいやなまねをするねぇ、あいさつぐらいあってもいいじゃねぇか、おめぇもなんとかいえ」「なにがって、おめぇふてぇぞ。てめぇもてめぇなら師匠も師匠だ、師匠なんざ、いい女だ」「そんなくだらねぇこというな、半公が笑ってるじゃねぇか」「やい、半公、師匠と二人で、うめぇ酒飲んで、なんか食いやがって、こちとら暑いのに、太鼓たたかなきゃならねぇんだ、とほほ、なさけねぇ」「泣くな、みっともねぇ、半公になめられるじゃねぇか」「やい、いうことはそれだけか。それじゃこっちでいってやらぁ。師匠とどうしようとこうしようと、おれの勝手だ、てめえたちの指図は受けねえ。糞でもくらえ!」「おもしれえ、くってやるから持ってこい」と、双方でやりあっている真ん中へ、肥船(こえぶね=糞尿運搬船)がスーッ入ってきて……

「ははは、どうだ、汲みたてだが、一ペェあがるけぇ?」


「7月27日にあった主なできごと」

1719年 田沼意次誕生…江戸時代の中期、足軽の子に生まれながら、側用人から老中までのぼりつめ、1767年から1786年まで 「田沼時代」 とよばれるほど権勢をふるった田沼意次が生まれました。

1872年 アムンゼン誕生…人類史上初めて南極点への到達に成功したのち、飛行船で北極点へ到達、人類史上初めて両極点へ到達したノルウェーの探検家アムンゼンが生れました。

1887年 山本有三誕生…小説『路傍の石』『真実一路』や戯曲『米百俵』など、生命の尊厳や人間の生き方についてやさしい文体で書かれた作品を多く残した山本有三が生まれました。

1953年 朝鮮戦争休戦…板門店で、国連軍代表と北朝鮮代表が、休戦協定に調印して3年にわたる朝鮮戦争が終わりました。しかし、講和条約は結ばれず、いまだに休戦状態のままです。

投稿日:2012年07月27日(金) 05:32

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)