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わが子に殺された源為義

今日7月30日は、平安時代末期の武将で源氏の棟梁だった源為義(みなもとの ためよし)が、1156年におきた「保元の乱」で敗れ、長男源義朝に処刑された日です。

1096年源義親の六男として生まれた為義は、 父が平正盛に殺されたため、養父となった義忠が家督を継ぐものの、1109年に義忠も暗殺されてしまいました。その容疑が義忠のおじの源義綱にかかると、朝廷は為義に義綱追討を命じました。義綱を打ち破った為義は、わずか14歳で左衛門尉(さえもんのじょう)に任じられ、京の夜警にあたるとともに、藤原頼長に仕え、六条堀川に住んでいたことから「六条判官」とよばれました。

こうして一族の内紛を封じたことで、源氏の家督を継いだ為義でしたが、平忠盛(清盛の父)率いる平氏の武士団のような勢いはなく、忠盛が白河法皇の信頼を得たのに対して、為義は一介の検非違使のまま長く留め置かれ、官位も低迷したままでした。

法皇が亡くなって鳥羽上皇の院政がはじまり、1135年の海賊追討使の人選にあたった上皇は、その任務を平忠盛に与えました。その後為義は、摂関家の藤原忠実・頼長父子に接近することで勢力の回復をはかりましたが、1154年に八男の源為朝(鎮西八郎)が九州で乱暴を働いたことで検非違使を解任され、家督も長男の義朝(源頼朝や義経の父)に譲らざるをえませんでした。

1156年、鳥羽上皇の死後、皇位継承問題や藤原摂関家の内紛により、朝廷が後白河天皇・藤原忠通方と、崇徳上皇・藤原頼長方に分裂すると、政変「保元の乱」がおこりました。武力衝突となり、為義は為朝や平忠正らとともに崇徳上皇方につき、義朝や平清盛らの天皇方と戦いましたが敗北、比叡山にのがれた後、義朝をたよって自首しました。義朝は自らの戦功に代えて、為義と為朝ら弟たちの助命を願いましたが許されず、厳命により義朝の手で斬首されたのでした。


「7月30日にあった主なできごと」

1502年 宗祇死去…室町時代の連歌師で、和歌の西行、俳句の松尾芭蕉とともに漂泊の人といわれる宗祇が亡くなりました。

1863年 フォード誕生…流れ作業による自動車の大量生産に成功し「世界の自動車王」といわれる実業家フォードが生まれました。

1898年 ビスマルク死去…プロイセン王の右腕として鉄血政策を推進し、1871年ドイツ統一の立役者となったビスマルクが亡くなりました。

1911年 明治天皇死去…王政復古をなしとげ、近代国家の形を整えた明治天皇が亡くなり、大正天皇が即位しました。

1947年 幸田露伴死去…『五重塔』などを著し、尾崎紅葉とともに「紅露時代」と呼ばれる時代を築いた作家幸田露伴が亡くなりました。

1965年 谷崎潤一郎死去……『細雪』『春琴抄』『痴人の愛』などの小説や『源氏物語』現代語訳を著した作家の谷崎潤一郎が亡くなりました。

投稿日:2012年07月30日(月) 05:26

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)