児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ Top >  おもしろ落語 >  金明竹

金明竹

「おもしろ古典落語」の78回目は、『金明竹(きんめいちく)』というお笑いの一席をお楽しみください。

骨とう屋のおじさんに世話になっている与太郎が、猫のヒゲを抜いています。「なんでそんなことするんだ、ねずみをとらなくなっちゃうだろ。それに、よそさまの赤ちゃんに、なにか食べさせちゃいけないよ、お隣の赤ちゃんになにをたべさせたんだ?」「かかとの皮。でも食べなかった」「馬鹿もん!」いつもこんな調子なので、おじさんの気が休まるひまがありません。表の掃除をさせればホコリを立てる、掃除の前には水をまくものだと教えれば、二階の床にも水をまくしまつ。

今日も、店番をさせれば、雨宿りに軒先を借りにきた男に、新品の蛇の目傘を貸してしまったといいます。「知らない人に傘を貸しちゃだめじゃないか。そういう時は、『傘はみんな使いつくして、バラバラになって使いものにならないから、焚きつけにするので物置へ放りこんであると断るんだ』と叱ると、ねずみが暴れて困るので猫を借りに来た人に『猫は使い物になりませんから焚きつけに……』ってことわった」「それは傘のことわりようだ。猫なら『さかりがついてとんと家に寄りつきません。ひさしぶりにもどったと思ったら、おなかわこわしてたれながしです。いま、またたびをなめさせて寝かしてあります』と言うんだ」そう教えると、おじさんに目利きを頼んできた客に「家にもだんなが一匹いましたが、さかりがついて、とんと家に寄りつきません……」こんな調子で、役に立つどころか、店の信用にもかかわります。こんど客がきたら、おばさんに取り次ぐようにいいつけて、おじさんは用たしにでかけました。

次に来たのは上方の人らしい男です。「ちょっとごめんやす」「なんだろ、ごめんってあやまってる」「だんなはんおいでっか? あんた、でっちはんでっか。わて、中橋の加賀屋佐吉方からさんじましたん。へぇ先度、仲買の弥市が取次ぎました道具七品のうち、祐乗、光乗、宗乗三作の三どころもの。ならびに備前長船(びぜんおさふね)の則光(のりみつ)、四分一(しぶいち)ごしらえ横谷宗岷(よこやそうみん)小柄(こづか)つきの脇差し、柄前(つかまえ)は、だんなはんが古鉄刀木(ふるたがや)といやはって、やっぱりありゃ埋れ木じゃそうに、木が違うておりまっさかいなあ、念のため、ちょっとお断り申します。つぎは、のんこの茶碗、黄檗山(おうばくさん)金明竹、ずんどうの花いけ、『古池や蛙飛びこむ水の音』と申します。あれは、風羅坊正筆(ふうらぼうしょうひつ)の掛け物で、沢庵、木庵、隠元禅師はりまぜの小屏風、あの屏風はなあ、もし、わての旦那の檀那寺が、兵庫におましてなぁ、この兵庫の坊主の好みまする屏風じゃによって、兵庫へやり、兵庫の坊主の屏風にいたしますと、かようことづけ願います」

「わーい、こりゃおもしれぇや。なんべん聞いてもわからねぇ、ひょうごのひょうごのって…、おばさん、聞いてごらんよ、よくしゃべる乞食がきたよ」「まぁ、失礼なことをいうんじゃありません、いらっしゃいまし。これは親戚からあずかったおろかしいものでございまして、たいへん失礼いたしました。あの、どちらからおいででございますか?」「あのう、旦那はんお留守でやすか? それではなぁ、ちょっとおことづけ願います。わて、中橋の加賀屋佐吉方からさんじましたん。先度、仲買の……」と、さっきよりも早口で、おなじことをいいます。

「これ与太郎、はやくお茶を持ってらしゃい。あのう、これに小言をいっておりまして、聞き取れなかったものですから、申しわけございませんが、もう一度おしゃていただけませんでしょうか」「ああ、さよかぁ…、わて、でっちはんに二度、あんたはんに一度だっせ、もう口が酸(す)うなってまねん…」と、うんざりしながら、もう一度くりかえして帰ったところへ、おじさんが帰ってきました。

「あの、いまお客さんがおみえになりまして」「どちらの方だ?」「着物を着て帯をしめて」「お前まで与太郎がうつったんじゃないか? どこのだれが、どんな用件できたんだ?」「それが、上方の方らしくて早口で、あっそう、中橋の加賀屋佐吉さんっていったかしら」「佐吉さんが見えたか、あいたかったな」「いえ、そこからのお使いの方のようでした」……おばさんは、少しずつ思い出しながら話していきますが、話がかみあいません。「どうも、よくわからないな。仲買の弥市が気がちがって、遊女を買って、遊女が孝女で掃除が好きで、千ゾや万ゾと遊んで、しまいにずん胴斬りにしちゃった。小遣いがないから捕まらなくて、隠元豆に沢庵ばっかり食べて、いくら食べてものんこのしゃあ。それで備前の国に親船で行こうとしたら、兵庫へ着いちゃって、そこに坊さんがいて、周りに屏風を立てまわして、中で坊さんと寝た? さっぱりわからねえ。どこか一か所でも、はっきり覚えてねえのか?」「たしか、古池に飛びこんだとか」「えっ、それを早くいいなさい。あいつに道具七品が預けてあるんだが、買ってったか?」

「いいえ、買わず(蛙)です」


「7月19日にあった主なできごと」

1834年 ドガ誕生…たくさんの「踊り子」の絵を描いたフランスの画家ドガが生まれました。

1864年 蛤御門の変…天皇を中心に外国勢力を追い出そうと「尊王攘夷」を掲げる長州藩の志士たちが京都に攻めのぼり、京都御所の警備にあたっていた会津・薩摩の両藩と激突。わずか1日で長州の敗北に終わり、長州は一時勢いを失いました。

1870年 普仏戦争…フランスがプロイセン王国に宣戦、プロイセンが大勝して、翌年のプロイセン主導によるドイツ帝国が成立しました。

投稿日:2012年07月19日(木) 05:46

 <  前の記事 木戸幸一と 『日記』  |  トップページ  |  次の記事 無線通信のマルコーニ  > 

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://mt.izumishobo.co.jp/mt-tb.cgi/2794

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)

         

2014年08月

          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

月別アーカイブ

 

Mobile

児童英語・図書出版社 社長のこだわりプログmobile ver. http://mt.izumishobo.co.jp/plugins/Mobile/mtm.cgi?b=6

プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)