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木戸幸一と 『日記』

今日7月18日は、第二次世界大戦期に天皇の側近となり、「日記」を遺したことで知られる政治家の木戸幸一(きど こういち)が、1889年に生れた日です。

東京赤坂に、明治維新の立役者だった木戸孝允の養子孝正の長男として生まれた幸一は、学習院高等科をへて京都帝国大学(現・京都大学)法学部を卒業後、農商務省へ入りました。1917年、父の死により侯爵を受けつぎ、貴族院議員となりました。1930年には、学習院時代からの友人だった近衛文麿にばってきされて、内大臣府秘書官長となり、1937年の第1次近衛内閣では文部大臣・初代厚生大臣に就任、つぎの平沼内閣では内務大臣をつとめました。

1940年から1945年までは内大臣となって、昭和天皇側近の中心として天皇の権威を高めることに力をそそぎ、近衛文麿らと政界をリードしました。几帳面な性格で天皇の信頼は厚く、重臣会議は幸一が主催し、1940年11月に西園寺公望が死去してからは、木戸が首班指名の最重要人物となるほどでした。

太平洋戦争の前夜ともいえる1941年10月、第3次近衛内閣後の首相に陸軍大臣だった東条英機を指名したのは木戸で、このときは重臣会議さえ開かれませんでした。この指名には、東条自身が一番おどろいて、顔面蒼白になったといわれています。

太平洋戦争初期は東条内閣のうしろ楯となりましたが、戦局が不利になると和平派の重臣たちと提携して東条を見限り、和平工作に傾倒しました。戦争末期には、「国体護持」(天皇制維持)を目的として終戦工作をおこない、1945年6月には「木戸試案」を作成し、小磯内閣を引きついだ鈴木貫太郎内閣の幹部や陸海軍に和平方針を説いて回るなど、和平派の中心人物として行動しました。本土決戦を主張する陸軍を説得することで、和平への動きに大きく流れを変えることになったのでした。

敗戦後木戸は、東条を首相に指名したことが主な要因となり、戦犯として逮捕され、極東国際軍事裁判(東京裁判)で終身刑を受けました。このとき、法廷に提出された『木戸幸一日記』は、身の潔白を示すための操作があるといわれますが、国民を無視した政界や軍部の動きを明らかにした資料として、大きな反響をよびした。

1955年に仮出所してからは、再度刑務所に入れられることなく神奈川県大磯で余生を送り、1977年に亡くなりました。


「7月18日にあった主なできごと」

1572年 室町幕府滅亡…応仁の乱後、室町幕府は世の中を治める力を失っていましたが、第15代将軍足利義昭が、織田信長に京都を追放されたことで、およそ230年続いた室町幕府が亡びました。

1952年 大賀ハス開花…植物学者の大賀一郎博士は、千葉市にある弥生時代の遺跡から見つけた2000年も前のハスの実を発芽させ、ついに花を咲かせました。「大賀ハス」と名づけられ、全国各地で今も花を咲かせています。

投稿日:2012年07月18日(水) 05:29

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)