「おもしろ古典落語」の76回目は、『岸流島(がんりゅうじま)』というお笑いの一席をお楽しみください。
隅田川に橋がかかる前、渡し船で往来していたころのお話です。浅草方面から渡し船に乗りあわせていた、年のころは30くらいのゲジゲジまゆげにギョロ眼という、あまりたちのよさそうでない侍が、キセルを出して煙草をすいはじめました。船ばたでポンポンとキセルたたいて、ジュッと、川の中へ火を落とします。侍は、うまそうに2、3服そうやっていましたが、そのうちにどうしたわけか、コツンとたたいたはずみに、ポロリ…、キセルのがん首がはずれて、そのまま川の中に落ちてしまいました。「あっ、しまった。これ、船頭! 船を止めてくれ、止めろ!」「えっ、どうしました?」「せっ者のキセルのがん首が、川に落ちたのじゃ、あのあたりだ、すぐに船を止めてさがせ」「冗談でしょ、落ちたところに印があるわけじゃなし、そんな小さなもの、もぐったって見つかるわけはありません」
「さようか、あれは銀でこしらえた、せっ者の気にいりであったがなぁ」無念そうにブツブツいってる侍に、乗りあわせたくず屋が、不要になった吸い口を買い上げたいと声をかけます。「だまれっ、ぶれい者」と、侍は手に持っていたせんすで、くず屋の頭をたたきました。「へぇ、どうかごかんべんを」「そまつななりをしておっても、四民の上に立つ武士じゃ。くず買いの分際で、武士に対して吸い口を売りはらえとは無礼千万、今せっ者が落としたがん首と、きさまのがん首を引き換えにいたしてくれるから、そこへ直れっ」ときましたからくず屋はびっくり仰天。どんなにはいつくばって謝っても、侍は聞く耳を持たず、へたに仲裁をすればとばっちりを受けそうで、誰もとりなすものはいません。
あわれ、首が飛ぶかと思ったその時、中間に槍を持たせた六十過ぎくらいの品のよい侍が、人をかきわけてやってきました。「お腹立ちでもござろうが、取るに足らぬ町人をお手討ちになったところで貴殿のお恥。いずれのご藩かご直参か相わからんが、ご主名にもかかわることでござる。町人のぶれいの段、てまえ成り代わってお詫びいたす」「うむ、しからば貴殿を相手にいたそう。いざ尋常に勝負をさっしゃい」
「これほど、詫びごとをいたしてもご勘弁なさらぬか。それではやむを得ずお相手するが、ここは船中、たってとあれば広き場所で」「おもしろい。船頭、船を向こう岸にやれ」さあ、船の中は大騒ぎです。どちらが勝つか、カケまで始まるありさま。若侍は、この爺ただ一撃と勇んで支度するいっぽう、老人の方はゆっくりと槍のさやを払って、りゅうりゅうとしごきます。さん橋が近くなると、若侍は勢いこんで飛び上がり、さん橋にヒラリと下り立ちました。すると、老人は槍の下の先をさん橋に当て、ぐっと力をこめて押すと、船はすっと後もどりして、岸を離れました。
「あ、こら、ひきょう者。船頭、返せ、戻せ」「これこれ、あのようなおろか者に構わず、船を出せ」乗合のやじ馬連中は「へいっ。ざまあみやがれ、居残り野郎め」などと船の中からワイワイはやし立てます。真っ赤になって怒った若侍、何を思ったか裸になると、大小を背負い、川にザブーンと飛びこみました。腹いせに船底に穴を開けて沈めるらしいと、乗客たちはあわてますが、老人は少しも騒がず、槍をぐっとかかえこんで、水の上を見ております。そこへ、若侍の頭が船の横にプックと浮き上がってきました。「これその方、わしに、はかられたのをうらみ、船の底でもえぐりに参ったか」
「なぁに、落としたがん首をさがしにきた」
「7月5日にあった主なできごと」
1215年 栄西死去…鎌倉時代の初期、禅宗の日本臨済宗をひらいた僧・栄西が亡くなりました。栄西は、茶の習慣を日本に伝え、茶の湯のもとをきずいたことでも知られています。
1590年 秀吉天下統一…豊臣秀吉は、小田原城を包囲して北条氏政・氏直父子を降伏させました。最後まで抵抗していた戦国大名をしたがわせたことで、応仁の乱から120年近く続いた「戦国時代」を終わらせました。
1949年 下山事件…日本国有鉄道(JRの前身=国鉄)の下山総裁が出勤途中に失踪。翌日の未明に、常磐線の北千住駅と綾瀬駅間の線路上で、死体となって発見されました。真相不明のまま捜査が打ち切られたため、「戦後史最大の謎」とされています。