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『アランフェス協奏曲』 のロドリーゴ

今日7月6日は、幼児期に失明したにもかかわらず、『アランフェス協奏曲』などたくさんの名曲をのこしたスペインの作曲家ロドリーゴが、1999年に亡くなった日です。

1901年、バレンシア地方のサグントに生まれホアキン・ロドリーゴは、3歳のころに悪性ジフテリアにかかり、失明してしまいます。しかし、音楽の才能を見いだされ、8歳でピアノとバイオリンの学習をはじめました。地元バレンシア音楽院で学び、作曲家アンティチの指導と援助を受け、パリのエコール・ノルマル音楽院に留学した後、フランスの作曲家ポール・デュカスの元で1927年から5年間作曲法を学びました。

1939年にパリで作曲された代表曲『アランフェス協奏曲』は、クラシック・ギターの独奏と管弦楽のために発表されたものです。しかし、ロドリーゴはギターを弾くことができず、ピアノを弾きながら、スペイン音楽の伝統を受け継いだ抒情的で幻想的な作品に仕上げました。この曲が有名になるのは、帰国してマドリードに住むようになった翌1940年12月、名ギタリスト、サーインス・マーサの独奏、マドリード室内管弦楽団の演奏で初演されて大成功を納めたのがきっかけでした。

ロドリーゴは、1947年からマドリード総合大学の哲学科・文学科の教授として音楽史を担当するようになりました。作曲活動は依然続け、著名なギタリストのセゴビアに依頼されて『ある貴紳のための幻想曲』を作曲するなど、作品は歌曲『4つの愛のマドリガル』合唱曲『ドゥルシネアの不在』ギター独奏曲『3つのスペイン風小品』のほか、管弦楽、ピアノ曲などさまざまなジャンルにわたっています。作風は古典の様式とリズムを土台としながら、スペインの国民音楽と、師であるデュカスのフランス音楽の影響を受けたメロディックで色彩感豊かな音楽を、生涯貫き通しました。

1991年にはスペイン国王から貴族に列せられ、1996年にはスペイン国民にとって最高の名誉となるアストゥリアス王太子賞、1998年にはフランス文化勲章も獲得しています。なお、亡くなる直前に会った日本のギターリスト村治佳織さんを孫のように可愛がったといわれています。村治さんのギターによる『アランフェス協奏曲』をぜひ視聴してみてください。


「7月6日にあった主なできごと」

1783年 浅間山の大噴火…長野と群馬の県境にある浅間山がこの日に煙を吐き出し、2日後に大爆発をおこし、火砕流が村々を襲って、2万人の命を奪いました。火山灰が広い地域をおおったため作物が出来ず、天明の飢饉の要因となりました。

1885年 狂犬病ワクチン…フランスの細菌学者・化学者のパスツールが、1885年に狂犬病ワクチンを初めて人体に接種しました。

1893年 モーパッサン死去…『脂肪の塊』『首飾り』などの短編をおよそ260編も遺したフランスの作家モーパッサンが亡くなりました。

1912年 初のオリンピック参加…ストックホルムで開催された第5回オリンピックに、日本選手2名が出場しました。

1917年 アラビアのロレンス…トルコに抵抗するアラブ人の反乱を支援していたイギリス軍人トマス・エドワード・ロレンスは、ヨルダン南部の都市アカバにあるトルコ軍基地を奇襲して陥落させました。これら一連のオスマントルコからのアラブ独立闘争をえがいた映画「アラビアのロレンス」は1962年に公開(日本公開は1963年)され、世界中で大ヒットしました。

投稿日:2012年07月06日(金) 05:44

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)