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死後認められたアボガドロ

今日7月9日は、「アボガドロの法則」で知られるイタリアの物理学者・化学者のアボガドロが、1856年に亡くなった日です。

1776年イタリアのトリノに生まれた科学者として知られるアメデオ・アボガドロですが、初めは大学で法学を学び、博士号をとって弁護士となり、法律事務所を開いていました。

ところが、1800年ごろから数学と物理学に興味を覚え、やがてその研究は化学にもおよび、1809年ベルチェリ大学の物理学教授となりました。アボガドロは、電気、液体の膨張、比熱、毛管現象など、広い分野に研究を進め、フランスのゲー・リュサックに刺激されて、気体の分子的構成についての研究まで拡がりました。そして、1811年に「気体は原子だけでなく、原子が集まった分子からなりたっていて、同温同圧のもとでは、すべての気体は同じ体積中に同数の分子を含む」という仮説を発表しました。

この仮説は、「分子」という考えを打ち出し、原子と分子を区別したもので、ドルトンが1803年に発表した「一種類の元素からなる気体は原子から構成される」という原子論の不備を補うもので、ゲー・リュサックの「すべての気体は同じ温度の上昇と等しい割合で体積がふえる」という法則にも合致していました。しかし、ほとんど注目されないまま数十年が過ぎていきました。

その後アボガドロは、サルディニャ王国エマヌエーレ1世が1820年、イタリア初の数理物理学教室をトリノ大学に設立すると、初代理論物理学教授にむかえられ、気象や度量衡、統計学などの研究を進めました。ところが王の退位直後の1822年、革命の動乱などにまきこまれて、教室は閉鎖されてしまいました。しかたなく、弁護士事務所を開いて生計をたてましたが、1834年に数理物理学教室が再開されると再び教授となり、1850年まで、もくもくと研究を続け、ほとんど名声をうることなく一生を終えました。

そして、死後2年目の1858年、イタリアのカニッツァーロという科学者が、アボガドロの仮説に基づく原子量決定法の原理という論文を発表しました。国際化学者会議でアボガドロの仮説の正しさと重要性を説いたことを契機に、はじめて公認され、仮説は「アボガドロの法則」とよばれるようになったのでした。


「7月9日にあった主なできごと」

1854年 日章旗を船印に決定…徳川幕府は、「日の丸」を日本船の印と決定しました。やがてこれが慣習化されるようになり、正式に国旗となったのは1999年「国旗国歌法」の公布以降です。

1922年 森鷗外死去…『舞姫』『山椒太夫』『高瀬舟』など明治・大正期に活躍した文学者 森鷗外が亡くなりました。

投稿日:2012年07月09日(月) 05:55

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)