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「貧民街の聖者」 賀川豊彦

今日7月10日は、大正・昭和期に活躍したキリスト教社会運動家の賀川豊彦(かがわ とよひこ)が、1888年に生まれた日です。

回漕業者の父と、正妻でない芸妓の子として神戸市に生まれた賀川豊彦は、幼少期に相次いで父母と死別して、5歳の時、徳島の本家に引き取られました。しかし、15歳の時に賀川家は破産してしまい、叔父の家に移りました。旧制徳島中学時代にキリスト教に入信し、そのころ安部磯雄や木下尚江の著作を読み、キリスト教社会主義に共感を覚えはじめました。

やがて伝道者を志した賀川は、上京して明治学院予科で神学をまなび、1907年新設の神戸神学校(後の中央神学校)に入学しました。当時肺結核に苦しみ、絶望的な病状でした。ところが奇跡的に回復すると、神戸市新川のスラムに住みこみ、路ばたで伝道をはじめました。この地で、賭博、スリ、子殺し、淫売などの社会悪と戦いながら神学校を卒業、『貧民心理の研究』(出版は1915年)を書き残しました。

人びとの援助で、1914年にアメリカのプリンストン大学へ留学、2年後に帰国すると、神戸のスラムにもどって無料巡回診療を始めました。また、米国留学中の体験から貧困問題を解決する手段として労働組合運動を重要視した賀川は、スラム周辺にたくさんの労働者がいたことから神戸地区労働組合の指導者となり、その新鮮な労働者解放論が支持されて、たちまち関西労働同盟会の理事長になりました。

1920年には、自伝的小説『死線を越えて』を刊行すると爆発的な人気を集め、ベストセラーとなって、賀川の名を日本中に広めることになりました。しかし、印税のほとんどを関与した社会運動や伝道運動につぎこみます。また同年には神戸購買組合(灘神戸生協→現・コープこうべ)を設立したり、武藤富男らと共に「キリスト新聞」を立ち上げ、1922年には杉山元治郎をバックアップして「日本農民組合」を結成しました。1923年に突如としておきた「関東大震災」の報を耳にすると、賀川は最も被害の大きかった東京・江東地区にテントを張り、日本赤十字社や日本キリスト教連盟などと連絡をとり、衣服、寝具、食糧の配給、行方不明者の調査、法律相談、建築相談等にあたりました。

ところが昭和に入ると、軍閥が次第に頭をもたげてきて、賀川の運動は日を追うごとに困難になってきました。特に太平洋戦争開戦前後は、賀川の動きは厳重な監視のもとにおかれ、警察に留置されたり、憲兵隊に取り調べをうけたりしました。

敗戦後に賀川がもっとも力を入れたのは、世界平和実現をめざす「世界連邦運動」と全世界へのキリスト教伝道でした。日本ではいくつかの賀川批判はありますが、海外では「貧民街の聖者」としてガンジーと並ぶ20世紀の聖者と高く評価されています。また、同志と共に、日本救癩(らい)協会をつくるいっぽう、婦人雑誌に救癩小説を連載するなど、癩病(ハンセン病)に対する認識を大衆にあたえた功績も大きなものがあります。

評論家の大宅壮一(故)は、「大衆生活に即した新しい政治運動、組合運動、農民運動、協同組合運動など、運動と名のつくものの大部分は賀川豊彦に源を発しているといってもいい過ぎではない」と、1960年に亡くなったその人物と業績を称賛しています。


「7月10日にあった主なできごと」

1509年 カルバン誕生…フランスの宗教改革者のカルバンが生れました。「カルバン派」は、オランダ、イギリス、フランスなど産業の盛んな地域に広まりました。

1821年 大日本沿海輿地全図…伊能忠敬が中心となって制作した日本全土の実測地図「大日本沿海輿地(よち)全図」が完成し、江戸幕府に献上されました。

1993年 井伏鱒二死去…『山椒魚』『ジョン万次郎漂流記』『駅前旅館』『黒い雨』など、多くの笑いと哀感のこもった作品を著した井伏鱒二が亡くなりました。

投稿日:2012年07月10日(火) 05:12

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)