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「雪の結晶」 と中谷宇吉郎

今日7月4日は、寒冷地の自然現象研究に大きな成果をあげた物理学者で随筆家の中谷宇吉郎(なかや うきちろう)が、1900年に生まれた日です。

石川県加賀市に生まれた中谷は、小学校を卒業するとまもなく父が亡くなったため家計は苦しくなりました。しかし、成績が優秀だったため、援助してくれる人があらわれ、旧制小松中学、第四高等学校を経て1922年に、東京帝国大学理学部物理学科に入学しました。

大学3年のとき、教授だった寺田寅彦に教えを受けたことが、中谷の将来を方向づけることになります。物理学ばかりでなく、自然現象のとらえ方や対応のしかたを指導されたばかりでなく、その人柄にほれこみました。卒業後は理化学研究所に入り、寺田研究室の助手となって、電気火花の実験物理学に従事するうち、寺田から独自の観察眼をもって突きすすめる研究法を身につけました。

1928年文部省留学生として、アメリカ、ドイツ、特にイギリスで軟X線(透視力の弱いX線)の研究をすすめた留学後に帰国すると、1930年北海道帝国大学理学部助教授となって札幌に移りました。1932年に教授になると、寒冷地の自然現象、とくに雪と氷に関連する研究をテーマに選び、たくさんの業績をあげ、その成果は「雪氷学」「雪物理学」という学問を構築する基礎としました。なかでも天然雪結晶の分類は代表的なもので、1936年には大学の低温実験室で人工雪の製作を世界で初めて成功させたほか、氷、雪、永久凍土、樹氷などが、どんな気象条件で形成されるかの過程解明にも、先駆的で独創的な研究を行ったことで、1941年には学士院賞を受賞しました。

戦後は、『霜の華』『大雪山の雪』など、霜や雪を題材にした科学映画を完成させて、多くの人たちに科学啓蒙をしています。執筆活動もさかんに行い、師の寺田にならい、科学を一般人に分りやすく伝える随筆や評論『冬の華』『続冬の華』『雪』『雷』『樹氷の世界』『科学と国境』など、たくさんの著書を残して1962年に亡くなりました。

なお、中谷と「立春の卵」のエピソードは有名です。1947年の2月6日付の新聞に、各社は実際に卵が立っている写真を載せました。これはおかしいと思った中谷は、立春に卵は立ったことは明瞭だが、立春とは限らないと確信、翌日曜日に自宅の卵で実験したところ、見事に立ちました。日をおいてもう一度挑戦したところ、10分後に立ちました。念のため中谷は、顕微鏡で卵殻表面の凹凸を調べ、「卵は季節などに関係なく立つ」ことを解明、『立春の卵』という著書に記しました。


「7月4日にあった主なできごと」

1106年 源義家死去…平安時代後期の武将で、八幡太郎(はちまんたろう)の通称で知られる源義家が亡くなりました。

1776年 アメリカ独立宣言…イギリスからの独立をめざし前年から戦争のさなか、アメリカ東部13州はこの日に独立を宣言、7年後の1783年の「パリ条約」で正式に認められました。アメリカ合衆国では、以来この日を「独立記念日」としてお祝いをしています。

1807年 ガリバルディ誕生…たくさんの都市国家があり、フランスやオーストリアなどに支配されていたイタリアを、イタリア王国として統一させたガリバルディが生まれました。

1820年 フォスター誕生…「オールドブラックジョー」「故郷の人々」など数多くの歌曲を作曲したアメリカを代表する作曲家フォスターが生まれました。

1826年 ジェファソン死去…第3代アメリカ合衆国大統領で、イギリスからの独立宣言文を書いたジェファソンが亡くなりました。

1934年 キュリー夫人死去…ラジュームを発見して夫ピエールといっしょにノーベル物理学賞をもらい、夫の死後ラジュームの分離に成功してノーベル化学賞をえた女性科学者キュリー夫人が亡くなりました。

投稿日:2012年07月04日(水) 05:58

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)