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笠碁

「おもしろ古典落語」の75回目は、『笠碁(かさご)』というお笑いの一席をお楽しみください。

「碁がたきは 憎さも憎し なつかしし」と、川柳にもあるくらいわずか一目か二目で仲のよい友だちが、たちまちケンカになったりします。ケンカになるくらいですから、腕まえのほうは似たりよったり、ほかの人とやればいいのに、やっぱりあいつでなくちゃ…というのが碁がたきというもののようです。よい碁がたきの伊勢屋のだんなと吉兵衛という商人が、ウマがあうのか毎日のように石を並べあっています。いつもお互いに待った、待ったのくり返しなので、「そんなことでは上達しない」と碁の達人の隠居にいわれ、伊勢屋の旦那は、今後いっさい「待ったなし」にしようということで、吉兵衛も納得しました。

「じゃ、きょうは私が先手の番だから、いいね。…さて、むずかしくなってきたな…、うーむ」「なにをうなってるんです?」「考えてるんだ」「冗談でしょ、いくら隠居にいわれたって、ひとつも打たないうちから考えてちゃだめですよ」「じゃごめんこうむって、こう打ちましょう」「なるほど、あたしはこういって、…さぁさぁいらっしゃい」「なるほど、そこへきたか。ふむふむ、こいつはおもしろいぞ、これでどうだ」「あたしはこういって、…なにしろ待ったがないんだからぁ」「そうくりゃ、こうさ」「じゃ、てまえはここんとこをこういきますよ」「あっ、こりゃ弱ったな。まずいとこに打たれたねぇこりゃ…うーん、その一目で、こっちの連絡、みんな切れちまう…こりゃ困った、この石はよすよ」「そりゃいけません。あなたが、待ったなしとお決めになったんですから」「そりゃいったが、この石が切れようとは思わなかった。かりに将棋を指したって、王手なら王手というだろ、碁だって将棋だって同じことだよ」「なにもこれで勝負がついたわけじゃなし、これからの打ちようで、一目や二目はどうにでもなりましょう」

自分で作ったルールを破るのは身勝手だと吉兵衛さんが「正論」を吐けば、伊勢屋は、おまえは不親切だ、理屈っぽすぎると、だんだん雲行きがあやしくなってきます。「わかったわかった。待ったをしなきゃいいんだろ、おまえはまったくおこりっぽい」「おこりたくもなりますよ、あなたがあんまりひきょうだから」「なに、あたしがひきょうだ? もうよしにしよう。ああ負けたよ負けた」「負けたも勝ったもないでしょ。打ちはじめたばかりで」

「いいよ、わたしが負けたんだから。けれど、おまえとあたしの仲で、そういうものじゃなかろうと思うんだ。あたしゃこんなことはいいたかないが…、そりゃ今じゃ、おまえさんもずいぶんお金もできて結構な身分になってるが、ずいぶん困ったこともあっただろ。十二、三年前、おまえさんが裏通りで小さな道具屋だしていなすったころだ、暮れがせまって家賃が払えないので家をあけわたせといわれたと泣きこんできた。わたしが都合したのをおぼえてるだろ。それからも、おまえさんがくれば、きまってお金の用だ。のべつまくなし貸してくださいってんだ。そのたんびに、あたしは待ったをしたか? この恩知らず」「そりゃあなた、少しおことばが過ぎやしませんか。そりゃ、お世話になりました。だからわたしだって、それだけのご恩がえしはしているつもりです。忙しいのに、店は奉公人にまかせておいて、おもしろくもない碁の相手に毎日のようにきてるでしょ。それも勝ってばかりじゃぐずぐずいうから、わざと骨おって負けてるんだ。こんなへぼ碁の相手をするなぁ、おもしろくもなんともあるもんか」「この野郎、へぼ碁とはなんだ、帰れ」「二度と来るもんか」

……という次第でケンカ別れをしましたが、雨が二、三日も降り続くと、伊勢屋のだんなは退屈も手伝って、吉兵衛さんのことが気になってしかたがありません。女房に鉄瓶の湯を沸かさせ、碁盤も用意させて、外ばかり見ながらソワソワしています。いっぽう、吉兵衛さんも同じこと。どうにも我慢ができなくなって、こっそり出かけて様子を見てやろうと思いますが、あいにく傘が一本しかありません。かみさんが、傘を持っていかれると買い物にも行けないと苦情をいうので、しかたなく菅笠をかぶって、敵の家の前をウロウロと行ったり来たり。それを見つけて、だんなは大喜び。「やいやい、ヘボ」「なにがヘボでございます?」「ヘボかヘボでねえか、碁盤が出ている、さぁ一番くるか」「おう、やりましょうとも、この前はあなたが先手でしたが、きょうはわたしが先手だ、ようございますか」「いいとも、さぁ、おやり」「やぁ、こりゃいけない。雨がたいへん漏りますよ」「はてな、雨が漏るわけはないが…、おい、だれか二階で水でもこぼしゃしないか? そうでもなきゃこうポタポタと…、

ありゃ、吉兵衛さんいけねぇな、かぶってる笠をとらなくっちゃあ」


「6月28日にあった主なできごと」

1491年 ヘンリー八世誕生…首長令を発布して「イングランド国教会」を始め、ローマ法王から独立して自ら首長となったヘンリー8世が生まれました。

1712年 ルソー誕生…フランス革命の理論的指導者といわれる思想家ルソーが生まれました。

1840年 アヘン戦争…当時イギリスは、中国(清)との貿易赤字を解消しようと、ケシから取れる麻薬アヘンをインドで栽培させ、大量に中国へ密輸しました。清がこれを本格的に取り締まりはじめたため、イギリスは清に戦争をしかけて、「アヘン戦争」が始まりました。

1914年 サラエボ事件…1908年からオーストリアに併合されていたボスニアの首都サラエボで、オーストリア皇太子夫妻が過激派に暗殺される事件がおこり、第一次世界大戦の引き金となりました。

1919年 ベルサイユ講和条約…第一次世界大戦の終結としてが結ばれた「ベルサイユ講和条約」でしたが、敗戦国ドイツに対しあまりに厳しい条件を課したことがナチスを台頭させ、第二次世界大戦の遠因となりました。

1951年 林芙美子死去…『放浪記』など、名もなく・貧しく・たくましく生きる庶民の暮らしを、みずからの体験をもとに描いた作品で名高い女流作家 林芙美子が亡くなりました。

投稿日:2012年06月28日(木) 05:41

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)