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再評価される内田魯庵

今日6月29日は、明治期に文芸評論家・翻訳家・小説家として活躍した内田魯庵(うちだ ろあん)が、1929年に亡くなった日です。

1868年、今の東京台東区下谷に幕府御家人の父、吉原の芸妓をしていた母の子として江戸・下谷に生まれた魯庵(本名・貢)は、政治や実業に関心を持ち、立教学校(現立教大学)や東京専門学校(現早稲田大学)などで英語を学びましたが、どこも卒業せず、文部省の翻訳係だった叔父のもとで下訳をしたり、友人の編集を手伝ったりしながら、図書館で独学しました。

1888年、山田美妙の『夏木立』が刊行されると長文の批評を書き、それが『女学雑誌』に『山田美妙大人(うし)の小説』として掲載され、文壇にデビューをはたすと、翌年には処女小説『藤の一本』を『都の花』に連載しました。そのころドストエフスキーの『罪と罰』の英訳を読んで衝撃を受け、生涯の友となる二葉亭四迷にも心酔して、文学はどうあるべきかを深く考えるようになりました。

1892年には、英語から重訳した『罪と罰』を刊行して翻訳家として名乗りをあげ、以後ボルテール、アンデルセン、ディケンズ、デュマ、ゾラ、モーパッサン、ワイルド、トルストイらの翻訳を次々と発表していきました。いっぽう、尾崎紅葉や山田美妙らの硯友社が遊戯文学であるとして批判したり、1894年には三文字屋金平の名で『文学者となる法』を刊行し、当時の文壇の俗物性を批判しました。

小説の代表作は、1898年に刊行した知識人の内面の空白や葛藤をリアルに描いた社会小説『くれの廿八日』や、1902年の社会各層の矛盾を風刺的に描いた『社会百面相』などで、戦後になって、魯庵の社会小説の意味が再評価されるようになっています。

やがて、丸善に書籍部門の顧問として入社し、PR誌「学燈」の編集にたずさわって、匿名で書評や随筆を書きました。1906年に出版されたトルストイの翻訳『馬鹿者イワン(イワンのばか)』も同誌に連載されたものでした。

文壇の一線を退いた晩年は、文壇回顧、人物評伝、随筆などを執筆し、特に1925年に刊行された『思ひ出す人々』(岩波文庫刊「新編思いだす人々」)は、同書の3分の1以上を熱く記した二葉亭四迷にはじまり、坪内逍遙、山田美妙、尾崎紅葉、斎藤緑雨、淡島椿岳、島田沼南、森鷗外、幸田露伴、夏目漱石、大杉栄らとの交友の中での想い出を語る内容は、明治の一流の作家たちを知る上での一級の書とされ、史料的価値をもつ傑作と高く評価されています。

なお、オンライン図書館「青空文庫」では、魯庵の評論23点を読むことが出来ます。


「6月29日にあった主なできごと」

1866年 黒田清輝誕生…『湖畔』『読書』などの作品を描き、わが国の洋画の発展に大きな功績を残した画家 黒田清輝が生まれました。

1903年 滝廉太郎死去…『荒城の月』『花』などの歌曲や、『鳩ぽっぽ』『お正月』などの童謡を作曲した滝廉太郎が亡くなりました。

1932年 特高の設置…特別高等警察(特高)は、日本の主要府県警の中に設置された政治警察で、この日に設置されました。警察国家の中枢として、共産主義者はもとより、自由主義者や宗教人にも弾圧の手をのばし、国民の目や耳や口を封じ、たくさんの人々を自殺においこみ、虐殺させた思想弾圧機構ともいえるものでした。

投稿日:2012年06月29日(金) 05:48

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)