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国学の基礎をつくった荷田春満

今日7月2日は、江戸時代中期の国学者で歌人の荷田春満(かだの あずままろ)が、1736年に亡くなった日です。

春満は古典・国史を研究して復古神道を提唱、『万葉集』『古事記』『日本書紀』研究の基礎を築き、儒教や仏教が日本に入ってくる前の日本人の心をさぐろうとしました。その教義は古道と呼ばれ、賀茂真淵、本居宣長、平田篤胤と続く国学の四大人(うし)の一人に数えられています。

1669年、京都伏見稲荷の神官の子として生まれた春満は、家学の神道と歌道を学び、1697年から霊元天皇の皇子である妙法院宮に仕官して歌道を教えました。やがて1700年、江戸へ出て幕府に仕え、神道・歌道・有職故実の研究を行い、武士たちに歌学や神道の教授を行うようになりました。この江戸滞在中、大石内蔵助とは旧知の間柄だったことから、吉良義央(きら よしひさ)在宅が確実である茶会の日を教えたことで、12月14日の討入りが決めらました。道義のおちた世の中に対する、春満の神道家としての批判精神のあらわれだったといわれています。

また、「万葉集」の研究家の僧侶である契沖を尊敬し、交流を深めた春満は、1713年には一度帰京後江戸へ戻り、その後もしばしば帰京・江戸下向をくりかえしました。1723年には将軍徳川吉宗に招かれて幕臣となり、1727年まで仕えながら、京都東山の地に国学のための学校の創立を計画しましたが、胸の病をわずらって養子の荷田在満に家督を譲り、願いは果せませんでした。

なお、春満の著作はたくさん残されていますが、その研究方法に中世的な部分が残っていることと未完成のものが多いために、その評価はあまり高くありません。しかし弟子の賀茂真淵をはじめ、宣長、篤胤らが確立する国学の基礎をつくったことは、高く評価されています。


「7月2日にあった主なできごと」

1338年 新田義貞死去…鎌倉時代末期・南北朝時代に活躍した武将で、後に室町幕府を開いた足利尊氏と対立した新田義貞が亡くなりました。

1778年 ルソー死去…フランス革命の理論的指導者といわれる思想家ルソーが亡くなりました。

1863年 薩英戦争…前年8月に、薩摩藩は横浜に近い生麦村で、島津久光の行列の先頭を乗馬で横切った英国人を殺傷する事件(生麦事件)をおこしたのに対し、英国は犯人の処罰と賠償金を要求。拒否した薩摩藩へこの日、イギリス東洋艦隊7隻が鹿児島湾へ侵入し、砲撃戦を開始しました。

1950年 金閣寺炎上…この日の早朝に、21歳の大学生が放火して国宝の舎利殿(金閣)が全焼しました。犯人が病弱で、重度の吃音者だったこと、金閣寺の見習い僧侶だったことなどがわかり、三島由紀夫 は『金閣寺』を、水上勉は『五番町夕霧楼』『金閣炎上』を著すなど文学作品が話題となりました。

1961年 ヘミングウェイ死去…『日はまた昇る』『武器よさらば』『老人と海』などを著したアメリカの小説家ヘミングウェイが亡くなりました。

投稿日:2012年07月02日(月) 05:36

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)