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道具屋

「おもしろ古典落語」の74回目は、『道具屋(どうぐや)』というお笑いの一席をお楽しみください。

神田三河町の大家・杢兵衛(もくべぇ)の甥の与太郎は、三十六にもなるのに、ろくな仕事もしないで年中ぶらぶらしています。「与太か、こっちへおあがり。今おめぇのオフクロがきて、泣いてったぞ」「はは、色男にはなりたくねぇ」「なにが色男だ」「女を泣かせる」「いい年して、ばかいうんじゃねぇ、オフクロを安心させるように、なにか商売でもする気になれ」「このあいだ、もうかる商売やってみた」「えれぇな、どんな商売だ?」「鳥屋へいって伝書バトを買ってくるんだ。これを売るだろ、買った人は、伝書バトを放すだろ。すると、おれんとこへ飛んで帰ってきちゃう。そしたらまたよそに売っちゃうと、またスーっと帰ってくる。一羽いりゃ、なんどでも売れるだろ?」「で、うまくいったか」「だめだった、放したら鳥屋へ逃げてった」

「あきれたヤツだな。そんなことよりおめぇ、おじさんの商売をやる気はねぇか」「おじさんの商売、大家じゃねぇか。それじゃ、あの家作をおれがみんなもらって、毎月の店賃はおれのものになるのか?」「おいおい、欲ばっちゃいけねぇ。大家はおじさんの表看板だ。おじさんの副業、つまり世間に内緒の商売がある」「ははぁ、あれか。おじさんの商売、頭に『ど』がつくだろ?」「おめぇ、知ってんのか?」「どうも目つきがよくねぇと思った、泥棒だろ!」「あきれた、だれが泥棒なんかやるか。道具屋だ。どうだ、やってみるか」「もうかるんならやってみてもいいけど…」

こうしておじさん、商売のコツを与太郎にいい聞かせ、商売道具一切持たせて送りだします。その品物がまたひどくて、おひなさまの首が抜けたのだの、火事場で拾ってきたノコギリだの、はいてひょろっとよろけると、たちまちビリッと破れる「ヒョロビリの股引き」だの、ろくな物がありません。まあ、元帳があるからそれを見て、倍にふっかけて後で値引きしても二、三銭のもうけは出るから、それで好きなものでも食いなといわれて、与太郎早くもやる気まんまん。

やってきたのが蔵前の伊勢屋という質屋の脇にある塀の前に、露天商がずらりと店を並べています。与太郎、いきなり道具屋に声をかけます。「へい、何かさしあげますか?」「おもしれぇ、そこにある石をさしあげてみろい」「からかっちゃいけねぇよ。なにか買ってくれるのかい?」「買わないよ、おれだって道具屋だ」「ああ、マナカか」「真ん中じゃねぇ、あぶねぇからはじっこを歩いてきた」「マナカってぇのは仲間のことだ。どこから来た?」「神田三河町の杢兵衛んとこから来た、おれは甥の与太郎さん」「ああ、あの話にきいている杢兵衛さんの甥、少しばか……いや、なんだ、少しばかりじょうぶだなんて…」とごまかしながら、親切にも、品物にはたきをかけておくなど、商売のやり方を教えてくれるうち、どうやら道具屋らしくなりました。

「さぁ、出したてのほやほやの道具屋でござい。よってらっしゃい、めしあがってください道具屋」「へんな道具屋が出やがったな、おい、そこのノコをみせろ」「タケノコ?」「道具屋へそんなもの買いにくるやつがあるか、そこにあるノコだ」「えーと、ノコにある?」「つまらねぇシャレいうな、ノコギリだよ」「なぁんだノコギリか、ノコなんて、ギリ欠いちゃいけねぇ」「なにいってやがる、おめぇはトウシローだな」「トウシローじゃねぇ、与太郎さん」「名前のことじゃねぇ、シロートのことをひっくりかえして、トーシローだ、いいから、そのノコをこっちへ貸してみろ。…ふーん、こりゃ少しあまそうだな」「甘いかからいか、まだなめてませんが、なんならなめてごらんなさい」「焼きがあまいってんだよ」「そんなことありません。おじさんが火事場でひろってきたんだから」「ひでぇもの売るな!」と、怒っていっちゃいました。

「与太郎さん、火事場で拾ったなんていっちゃダメだよ。となりにいるおれの品物まで安っぽくみえるじゃないか。今の人は大工なんだから、棟梁とかなんとかおだてて、うまくふところに食らいつくんだ」「なんだ、ノミみてぇだな」「お客を逃がすなってことだよ。今みてぇな客は、小便だよ」「どこへ小便したの?」「探すやつがあるかい、道具屋の符牒で、買わずに逃げられることをいうんだ」

次の客はお年寄り。漢詩の本を見れば表紙だけ、万年青(おもと)を入れる植木鉢だと思ったらシルクハットの縁の取れたのと、ろくな代物がないので渋い顔。毛抜きを見つけて髭を抜きはじめ、「ああ、さっぱりした。伸びた時分にまた来る」とまた小便。

お次は田舎出の壮士風の男。「おい、その短刀を見せんか」刃を見ようとしますが、なかなか抜けません。与太郎も手伝って、両方からヒノフノミィ。「抜けないな」「抜けません」「どうしてだ」「木刀ですから」「木刀を承知で引っ張らせるやつがあるか」「おまえさんが引っ張れっていうから、顔を立てて」「顔なんぞ立てることはない。もっと、すぐ抜けるのはないのか」「あります、おひなさまの首の抜けるのが」「へんなものばかり置いてあるな。…おう、そこに鉄砲がある。その鉄砲はなんぼ(いくら)か」「一本です」「鉄砲の代じゃ」「樫です」「鉄砲の金じゃ」「鉄です」「ばかだなおまえは、値(ね)じゃ」

「音(ね)はズドーン」


「6月22日にあった主なできごと」

1633年 ガリレオ終身刑…イタリアの物理学者ガリレオは、宗教裁判で終身刑を言い渡されました。当時、地球は動かず太陽が地球を回っているという「天動説」がローマ教皇庁の考えでした。しかし、ポーランドの天文学者 コペルニクス のとなえた「地動説」を支持、みずからの観測を重ねて本に著したことで教会の怒りをかい、罰せられたのでした。病身だったガリレオは、厳しい取調べに、天動説を認める書類に署名しましたが「それでも地球は動いている」とつぶやいたといわれます。なお、この判決が359年後の1992年、ローマ法王ヨハネ・パウロ2世は、教会の誤りを公式に認めました。

1752年 雷は電気を証明…アメリカ独立に多大な貢献をした政治家、外交官、また著述家、物理学者、気象学者として多岐な分野で活躍したフランクリンが、たこを用いた実験で、雷が電気であることを明らかにしました。これがきっかけとなって避雷針を発明します。

1941年 独・ソ戦開始…史上最大の死傷者を出した第2次世界大戦のうちでも「最大の戦い」といわれるドイツとソ連(独・ソ)戦が始まりました。

投稿日:2012年06月22日(金) 05:46

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)