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「聖家族教会」 とガウディ

今日6月25日は、スペインのバルセロナにあるサグラダ・ファミリア(聖家族教会)、グエル公園、ミラ邸など、独創的なデザインや造形で知られる建築家ガウディが、1852年に生まれた日です。

南部カタロニアのレウス(またはその近郊リウドムス)の銅細工師の5番目の子として生まれたアントニオ・ガウディは、1863年、貧しい家庭の子弟のために設立されたピアリスト修道会の学校に入学し、友人たちとこしらえた雑誌に独創的な挿絵をかいたり、学校演劇の際には特異な大道具や小道具を制作したり、ユニークな存在だったといわれています。

1873年にバルセロナ建築学校に入学したガウディは、77年に卒業するまでに、学業と並行していくつかの建築設計事務所で働き、バルセロナの公園や修道院の装飾にもかかわり、78年に建築士の資格を取得しました。同年、パリ万国博覧会に出展する手袋店のためにショーケースをデザインすると、この作品を通じてガウディの才能をいち早く評価したのが、実業家の富豪エウゼビ・グエル侯爵でした。グエルは、その後40年あまりの間パトロンとしてガウディを支援しました。その交友をもとにグエル邸、コロニア・グエル教会地下聖堂、グエル公園などの設計を依頼し、ガウディはその期待に応えて、異彩をはなつ作品を次々にうみだしていきました。1883年には、サクラダ・ファミリアの専任建築家に推薦されました。

Sagradafamilia.jpg

ガウディは後半生を熱心なカトリック教徒として過し、サグラダ・ファミリアの建設に全精力を注ぎこみました。しかし、親族や友人の相次ぐ死、バルセロナ市が財政危機に見舞われてサグラダ・ファミリアの建設はなかなか進まず、同時に進めていたコロニア・グエル教会堂の建設工事は未完のまま中止されてしまいました。1918年にはグエルの死という不幸の連続に、ガウディは取材を受けたり写真を撮られたりするのさえ嫌うようになったようです。そして、1926年6月、ガウディはミサに向かう途中、路面電車にひかれてしまいました。身なりに気をつかわなかったため、浮浪者と間違われために手当てが遅れ、事故の3日後に73歳で亡くなったのでした。

ガウディの特異な作品群は、機能主義全盛の世界的な流れの中で、長い間異端児扱いをされてきました。しかし、今日では、「形式主義からの解放」をテーマに、曲線と細部の装飾を多用した生物的な建築や、幻想的で怪奇とさえ感じるような独創的なデザインや造形は再評価されるようになり、たくさんの建築家や芸術家に影響を与え続けています。そして1984年には、現在も建設続行中のサグラダ・ファミリアをはじめ、グエル公園、ミラ邸(カサミラ)などの作品は「ガウディの作品群」としてユネスコの世界遺産に登録されています。


「6月25日にあった主なできごと」

845年 菅原道真誕生…幼少の頃から学問の誉れが高く、学者から右大臣にまでのぼりつめたものの、政敵に陥れられて九州の大宰府へ左遷された平安時代の学者で、「学問の神」として信仰されるようになった菅原道真が生まれました。

1734年 上田秋成誕生…わが国怪奇文学の最高傑作といわれる 「雨月物語」 を著した江戸時代後期の小説家・国学者・歌人の上田秋成が生まれました。

1956年 宮城道雄死去…琴を主楽器とする日本特有の楽曲(箏曲<そうきょく>)の作曲者、演奏家として世界に名を知られた宮城道雄が亡くなりました。

投稿日:2012年06月25日(月) 05:32

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)