「おもしろ古典落語」の73回目は、『うそつき村』というお笑いの一席をお楽しみください。
「うそつきは泥ぼうのはじまり」などといいまして、ウソというのはよいものではございませんが、だれが聞いても、すぐにウソとわかるようなのは、かえってばかばかしくて愛きょうのあるものです。「神田の千三ツ」とあだ名されるうそつき男が、だんなの家に久しぶりに現れて、さっそく大ボラを吹きます。
「信州へ行ってきましたが、あんまり寒いんで驚きました。とくに山ん中へとくると、じつにたまりません。なんでも氷っちまうんですから」「ほうっ、どんなものでも氷る?」「へぇ、酒なんぞは、こっちでは飲むといいますが、あちらでは氷ってますんで、かじるっていいます」「冗談いいなさんな、酒は氷らねぇもんだというぜ」「それが氷るんですから、寒いのなんのって。あっちで食べあきたのは、カモです」「鳥のカモかい、そんなにとれるのか?」「あんまり寒いので湖でカモの足に氷が張って飛び立てなくなっているのを幸い、鎌で足だけ残して片っ端から刈り取りました」とか、春になると、刈り残した足から芽がふきだしたのでカモメだとか、いいたい放題です。
ところがだんなが、「向島のずっと先に、うそつき村というのがある。そこの奴らは一人残らずうそをつくが、その中でも、鉄砲の弥八という男は、いくらおまえでもとてもかなわない」といわれて、千三ツ、名誉にかけてそいつを負かせてみせると、勇んでうそつき村に乗りこみました。早速、村人に弥八の家を聞きましたが、さすがにうそつきぞろい。向かい側の引っ込んだ家だの、松の木の裏だのとでたらめばかりで、いっこうに見当がつきません。子どもなら少しはましかと、遊んでいた男の子に聞くと、「弥八はオレのおとっつあんだ」といいます。そこで「おまえんとこのおやじは、見込みがありそうだと聞いたんで、弟子にしてやろうと江戸から来たんだ、いるか?」と、ハッタリをかまします。
すると子どももさるもの、「おとっつぁんはいないよ。ゆうべの風で、富士山が倒れそうになったのでつっかい棒をかけに行って留守だし、おっかさんは近江の琵琶湖まで洗濯に行った」と、なかなかの強敵。その上、「薪が五わあったけど、三つ食べたから、おじさん、残りをおあがり。たどんはどうだい」ときます。子どもがこれならおやじはどんなにすごいだろうと、千三ツは尻尾を巻いて退さんしました。
と、そこへおやじが帰ってきたので、せがれは千三ツが来たことを報告し「…その人、大変なガキだって、大急ぎで逃げていっちまったから、そっちへ行くとおおかみがいるよ、あっちはうわばみが出るってどなってやったの。そしたらね、あわてて財布を落としていったんで、中を見るとお金がうんと入ってた」「そんなもの、子どもが持ってちゃためにならねぇ、こっちへ出せ」
「おとっつぁん…、それもウソだ」「ばかっ、親にウソつくやつがあるか」「だっておいらは弥八の二代目なんだから、今のうちから鍛えなくっちゃ。ところでおとっつあん、どこへ行ってたんだ?」「オレか。世界がすっぽり入るくらいの大きな桶を見てきた。親にウソをつくようなやつは、そん中へぶちこんじゃうぞ」「おいらも、大きな竹を見たよ。裏の山へのぼったら、タケノコがひとつ出てたんだ。それがどんどん伸びて、雲ん中に隠れちまった」「うん、それで?」「少したつと、上の方から竹が下りてきて、それが地面につくと、またそれから根が生えて、雲まで伸びて、また上から…」「いいかげにしろ、そんなばかばかしい竹があるもんか」
「だって、そんな竹でもなけりゃ、おとっつぁんの見た桶のタガができないじゃないか」
「6月14日にあった主なできごと」
1571年 毛利元就死去…戦国時代に全中国地方と四国の一部を支配し、毛利家の最盛期をつくった毛利元就がなくなりました。
1811年 ストー夫人誕生…キリスト教人道主義の立場から、黒人奴隷の悲惨な境遇に心を痛め『アンクル・トムの部屋』を著したアメリカの女流小説家ストー夫人が生まれました。同書刊行から9年後に南北戦争がおきたため[戦争を巻きおこした小説]といわれるほど人々の支持を受けました。
1910年 『遠野物語』発刊…古くから庶民のあいだに伝え受けつがれてきた民話、生活のすがたや文化などを研究する学問「民俗学」を日本に樹立した柳田国男が代表著作『遠野物語』を刊行しました。この本で、岩手県遠野地方に伝わる民話が全国的に広まりました。