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「錦絵」を大成させた鈴木春信

今日6月15日は、江戸時代中期に活躍した浮世絵師の鈴木春信(すずき はるのぶ)が、1770年に亡くなった日です。

春信は、1725年に江戸で生まれ、京都に出て西川祐信に学び、1760年前後に江戸へ移り住んでいたことは判っていますが、それまでは何をしていたかはほとんどわかっていません。本姓は穂積、通称は次郎兵衛、長栄軒、思古人と号しました。

春信が活躍したのは1760年から亡くなるまでの約10年間で、はじめのうちは2〜3の原色で摺る「紅摺絵」による役者絵で知られています。多色摺を可能にしたきらびやかな絵「錦絵」がはじまるのは、旗本の大久保甚四郎と阿部八之進が、薬商人の小松屋三右衛門らと協力して、金に糸目をつけずに多色摺りの技術を開発し、1765年頃当時江戸で流行した絵暦交換会でさまざまなデザインの絵暦が競って作られたことがきっかけでした。

そして、この「錦絵」に独自の繊細で優美な美人画を形成し、好事家の彫師、摺り師の技術者と協力して中間色を加えた豊かな多色刷木版画を完成させたのが春信でした。いちやく浮世絵界の人気絵師となった春信は、亡くなるまでの5〜6年間に、700点以上の作品を残しています。次々発売される細身で、かれんで繊細な夢見るような表情の女性像、人形のようなあでやかな、また叙情的で幻想的な美人画は、浮世絵版画の主流を占めるようになり、まさに春信の美人画は江戸じゅうにあふれました。当時評判の町娘をモデルにしたり、『古今和歌集』や古今東西の故事説話からとった題材を当世の風俗に置きかえた「見立絵」の作品も描きました。

Couple_under_umbrella_in_snow.jpg

若い男女が一つの傘に寄り添う姿を描いた『雪中相合傘』(上の絵)は代表作のひとつで、ほかに『座敷八景』『縁先美人図』などがよく知られています。

絶頂期に亡くなった春信を惜しむ声は多く、友人の平賀源内をはじめ、画風は春重と称して春信の偽作まで試みたという司馬江漢、天明期に活躍する勝川春章や鳥居清長に受け継がれていきました。


「6月15日にあった主なできごと」

774年 空海誕生…平安時代に中国から真言密教をもたらして真言宗を開き、高野山に金剛峰寺を建てた空海が、生まれました。空海は弘法大師の名で親しまれています。

1215年 マグナカルタ成立…イギリス憲法の聖書ともいわれる「マグナカルタ」(大憲章)に、横暴だったジョン王が署名し、王も法に従うという原則が定められ、イギリス立憲政治の出発点となりました。

1242年 北条泰時死去…鎌倉時代の3代目の執権となり、、武士の初めての法律『御成敗式目』(貞永式目)をこしらえ、16代続いた執権政治の基礎をきずいた北条泰時が亡くなりました。

1769年 佐藤信淵誕生…明治維新の100年近くも前に生まれながら、国学、儒学、蘭学、動・植物、天文、地理、測量など広い学問に通じ、明治以降の日本のすがたを明確に予想した学者佐藤信淵が生まれました。

投稿日:2012年06月15日(金) 05:54

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)