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夭折した天才作家・ラディゲ

今日6月18日は、『肉体の悪魔』『ドルジェル伯の舞踏会』を著わしたフランスの小説家で詩人のラディゲが、1903年に生まれた日です。

パリの郊外のサンモールに、さし絵画家の子に生まれたレイモン・ラディゲは、子どものころから、父の蔵書の文学作品を読みふけり、学業優秀な子として有名でした。11歳でパリの中学に入学しましたが、まもなく学業そっちのけで文学に夢中になり、不登校のため学校を放校処分になってしまいました。

やがて詩作をはじめるようになり、15歳の時に、父の友人の編集者を通じて知り合った詩人コクトーは、ラディゲの才能を高く評価、自分の友人の芸術家や文学者仲間に紹介してまわりました。詩集を出版して、文学者たちと交遊をするうち、ラディゲは10歳年上の人妻アリスとの恋愛関係となり、この体験をもとにした長編小説『肉体の悪魔』の執筆にとりかかりました。

その間、数々の雑誌に評論を発表しながら、コクトーを介した出版社と『肉体の悪魔』の内容を吟味改稿を重ね、1923年、ベルナール・グラッセ書店から刊行されました。このとき出版社は「大戦後の空ににとどろく砲弾の最後の一撃」と異例の大宣伝をしたため文壇から批判を浴びましたが、作品は、年上の人妻に対する早熟な少年の心理描写という、反道徳的ともとれる内容が評判を呼んで大ベストセラーとなり、ラディゲはいちやく文壇の寵児としてもてはやされることになりました。

『肉体の悪魔』で手にした印税を元に、コクトーとともにヨーロッパ各地を転々としながら、ラディゲはすでに取りかかっていた次の小説『ドルジェル伯の舞踏会』を完成させました。ところが、同年11月末に突如体調を崩し、腸チフスと診断され入院し、わずか20歳の短い生涯を閉じてしまいました。

遺作となった『ドルジェル伯の舞踏会』は、死後出版されました。ラディゲの2つの作品は共に、恋する人への心の動きを簡潔で美しい文体で描かれた傑作とされ、ランボーとともに、ラディゲはフランス文学史上、もっとも早熟な天才といわれています。コクトーは、ラディゲのあまりに早すぎる死にショックを受け、その後およそ10年にわたってアヘンにおぼれたといわれています。また、三島由紀夫の20代の短編に『ラディゲの死』があり、『ドルジェル伯の舞踏会』によって、自己同一化するほど大きな影響を受けたこともよく知られています。


「6月18日にあった主なできごと」

1815年 ワーテルローの戦い…エルバ島から脱出したフランス皇帝ナポレオン1世は、イギリス・オランダ連合軍およびプロイセン軍に、最後の戦いとなる「ワーテルローの戦い」で敗れました。

1940年 レジスタンス…ヒトラー 率いるドイツとの戦いに敗れ、首都パリが陥落すると、フランス軍将軍のド・ゴールはイギリスへ亡命することを決断。ロンドンのBBCラジオを通じて、対独抗戦の継続と抵抗(レジスタンス)をフランス国民に呼びかけました。

1945年 ひめゆり学徒隊集団自決…太平洋戦争の末期、沖縄では一般市民を巻きこんだ地上戦が行なわれていました。この戦いで、負傷兵の看護を行なってい女子学徒隊は、軍に解散命令が出されたことでアメリカ軍に包囲された洞窟内で、49名が集団自決をしました。さらに沖縄戦終了までに、生徒123人、教師13人が亡くなりました。その霊をなぐさめ、悲劇を二度とくりかえしてはならないという願いをこめた「ひめゆりの塔」が、沖縄県糸満市に建てられています。

投稿日:2012年06月18日(月) 05:39

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)