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「赤絵磁器」 の酒井田柿右衛門

今日6月19日は、江戸時代前期の陶工で「赤絵」の創始者として知られる初代酒井田柿右衛門(さかいだかきえもん)が、1666年に亡くなった日です。

1596年に生まれた初代酒井田柿右衛門は、初めは喜三右衛門(きさえもん)といって、肥前(熊本)白川郷で父円西とともに瓦を焼いていました。やがて有田(現在の佐賀県有田市)に移り、唐津風の陶器をつくるようになりました。

そのころ喜三右衛門は、「大坂夏の陣」で大坂城落城のために九州に落ちのびていた朝鮮人陶工の高原五郎七と知り合い、その指導で染付磁器や青磁を焼くようになりました。さらに、たまたま伊万里の磁器商が中国人陶工に「赤絵」の技法を伝授されたことを知り、そこを訪ねて中国清初期の「康熙赤絵」の素晴らしさに感銘、何年もかけて挑戦をしましたが、納得のいくものができません。1643年ころになってようやく「康熙赤絵」から脱出して、独自の和風赤絵の製法に成功しました。これによって、喜三右衛門から柿右衛門と名を替えました。この名前は、夕日に映じた柿の色の美しさを出すために苦心を重ねたことで「柿」の名をもらったとか、赤絵の柿の蓋物を藩主に献じたことから与えられたともいわれています。

Kakiemon_Jar.JPG

こうして、青色にしか出せなかった磁器の模様を、赤くだせるようにしたばかりか、乳白色の地に黒の細い線描をほどこし、緑、金色を配した独自の磁器となりました。この磁器は、日本各地に広まっただけでなく、ヨーロッパにも大量に輸出されました。17世紀末にはオランダのデルフト窯で柿右衛門の模倣専門の陶工があらわれたのに次いで、18世紀初頭には、ドイツのマイセン窯でもさかんに柿右衛門風絵付けを試みるようになり、1740年ころからフランスのシャンティーイ窯では、20年にもわたって柿右衛門写しを試みるなど、世界各国で柿右衛門写しがブームになりました。

酒井田柿右衛門の名は、代々その子孫(後継者)が襲名する名称となって今日まで続き、現在は14代目がついでいます。


「6月19日にあった主なできごと」

645年 元号のはじまり…元号とは、明治・大正・昭和・平成のような年代の数え方で、645年のこの日、蘇我氏を倒した中大兄皇子(のちの天智天皇)が、わが国初の元号「大化」を定めました。江戸時代以前は、大きなできごとがあるたびに元号が変わっていましたが、明治から、天皇の即位から亡くなるまでを一つの元号とする「一世一元制」となりました。

1909年 太宰治誕生…『人間失格』『走れメロス』『斜陽』『晩年』 『ヴィヨンの妻』などを著した作家太宰治が生れました。なお、この日は、1948年に入水自殺した太宰の遺体が発見された日でもあり、「桜桃忌(おうとうき)」とよばれて、太宰をしのぶ人たちが、三鷹市禅林寺にあるお墓の前に集うことで知られています。

投稿日:2012年06月19日(火) 05:06

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)