「おもしろ古典落語」の71回目は、『高田馬場(たかだのばば)』というお笑いの一席をお楽しみください。
むかし、今の浅草公園のあたりを浅草・奥山といっていまして、春の季節は、見世物や大道芸人がずらりと並んでにぎやかな人だかりがしていました。その大道芸人の中でも、名物になっていたのが居合い抜きという芸当でした。柄鞘(つかざや)八尺という長い刀をあざやかに抜いてみせます。これが居合抜きで、それがすむと後ろにひかえていた美しい娘が鎖鎌をふってみせるのですが、これは人寄せにすぎません。実は、がまの油を売るのが商売です。(口上は前回の「がまの油」参照)
「…その効能はなにかといえば、金創切り傷、出痔いぼ痔、虫歯で弱るお方はないか?」そこへ、黒山のような人だかりを押し分けて、六十くらいの侍が、「えぃ、寄れ寄れっ」と、がまの油売りに近づきました。「あいゃ若い者、最前よりこれにてうけたまわっているに、なにか金創切り傷の妙薬というが、それは古い傷でも治るか?」「古い新しいとを問わず、ひと貝かふた貝おつけになれば、かならず治ります」「二十年ほど過ぎさった傷でも治るかな」「なに二十年? ちと古すぎますが、ちょっと拝見しましょう」と侍は肩肌ぬいでその傷を見せるなり「これは投げ太刀にて受けた傷ですな」「さよう、お目が高い」
侍が、身の懺悔(ざんげ)だからと語るところでは、自分は元福島藩の家中だが、二十年前、下役・後藤惣右衛門の妻女の美しさに横恋慕したのが身の因果…、夫の不在をうかがって手ごめにせんとしたところ、立ち帰った夫に見とがめられ、これを抜き打ちに斬り捨てた。妻女が乳呑児をかかえ「夫の仇」とかかってくるのをやはり返り討ちに斬ったが、女の投げた懐剣が背に刺さり、それがこの傷だといいます。
若者は聞き終わるときっと侍をにらみ「さてこそ、なんじは岩淵源内。かくいう我は、なんじのために討たれし後藤惣右衛門が忘れ形見の惣之助。これなるは姉のつゆ。いざ尋常に勝負勝負」と呼ばわったから、あたりは騒然となりました。
岩淵源内は静かに「あいや、ご姉弟、しばらくおひかえください。もはやふたむかしも過ぎ去ったことゆえ、よもやと思ったが拙者の油断、拙者の天命逃れざるところ、いかにも仇と名乗って討たれよう。なれども、ここは観世音境内の淨地、血をもって汚すはおそれおおい。ことに拙者は主を持つ身。立ち返ってお暇を頂戴しなければならぬので、明日巳の刻(午前十時)までお待ち願いたい」「よかろう。出会いの場所は」「牛込、高田馬場」「相違はないな」「武士に二言はござらん」というわけで、仇討ちは日延べになりました。
野次馬たちが仇討ちをしゃべり広めるものですから、江戸じゅうの評判になって、翌日の高田馬場は押すな押すなの黒山の人だかり。仇討ち見物を当てこんで、よしず張りの掛け茶屋がズラリとならんでおります。そのどれもぎゅうぎゅう詰めで、みんな勝手をいいながら待っていますが、いっこうに始まりません。とうとう一刻(二時間)過ぎて、正午の刻に。また日延べじゃないかとざわつきだしたころ、ある掛け茶屋で、昨日の侍が悠然と酒を飲んでいるのを見つけた者がありました。
「もし、お侍さん、のんびりしてちゃぁ困ります。仇討ちはどうなりました」「ははは、今日はやめた」「相手がそれじゃ済みますまい」「心配いたすな。あれは身どものせがれと娘だ。きょうは天気がいいからのう、うちで洗濯でもしてるじゃろう」「なんだって、そんなうそをついたんです」「ああやって人を集め、掛け茶屋から勘定の二割をもらって、暮らしておるのじゃ」
「なぁるほど、それじゃ、見物にきたこちとらが、まんまと返り討ちだぁ」
「6月1日にあった主なできごと」
1864年 洪秀全死去…アヘン戦争でイギリスに敗北して威信を失った清(中国)南部に、平等な世界を理想とする「太平天国」の建設をめざし、14年間にわたり革命運動をおこした洪秀全が亡くなりました。
1968年 ヘレンケラー死去…生後19か月で目・耳・口の機能を失いながらも、著述家、社会福祉事業家として活躍したヘレンケラーが亡くなりました。