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奇想画家チントレット

今日5月31日は、イタリア・ルネサンス期にベネチア派のチチアーノと並ぶ代表画家チントレットが、1594年に亡くなった日です。

1518年、水の都ベネチア(ベニス)の染物屋の子として生まれたヤーコポ・ロブスティは、「染物屋の息子」を意味する「チントレット」と呼ばれるようになりました。生涯のほとんどをベネチアで過ごし、そこで亡くなったきっすいのベネチア人でした。

12歳でチチアーノの工房に入門したチントレットでしたが、10日ほどで追い出されてしまいました。当時40歳前後で働き盛りのチチアーノがチントレットの才能に嫉妬したためともいわれますが、真偽のほどはわかりません。しかし、チントレットが早熟だったのは確かで、1539年、21歳で「マエストロ」(親方)の資格を得て独立しています。

チントレットの工房には「ミケランジェロの素描とチチアーノの色彩」というモットーが掲げられていて、両巨匠の特質を統合しようという意気込みが感じられます。1548年のサン・マルコ同信会館のために描いた『マルコの奇跡』で名声をえると、斬新で大胆な構図と劇的な表現という様式を確立して、『プロバンスの奴隷を救う聖マルコ』『龍を退治するゲオルギュウス』など、聖書のエピソードを壮大なドラマの1シーンのように描いた作品を次々に描きました。描法にも特色があり、素描をすることなく、いきなりカンバスに絵の具で流動的にすばやく形を整えていくというものでした。彩色ばかりでなく、巨大な画面の構図は大胆になり、人体の動きは激しさを増して、次世紀のバロック絵画を先取りするものといわれています。

チントレットの売り込みの激しさも特徴的で、こんなエピソードが残されています。ある教会の天井画装飾のための素描コンクールが行われたとき、教会の使用人を買収して天井の正確なサイズを測り、早々と絵を完成させてコンクール前日までに天井にはめこんでしまいました。当日、応募してきた画家が素描を提出するなかで、ティントレットは天井にかぶせていた紙をはがして完成作を披露したばかりか、その作品を教会に寄贈して、以後20年間以上にもわたって、同教会の装飾を手掛けたということです。

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晩年の傑作は、ベネチアのサン・ジョルジョ・マッジョーレ教会の壁面を飾る『最後の晩餐』(上の絵)でしょう。「最後の晩餐」という伝統的な画題を扱いながら、晩餐のテーブルを画面手前から対角線にそって奥へ向かっておくという構図で、向こう側と手前側では次元をまったく変えています。舞台照明のような光を受けるキリストと使徒たちや半透明の天使たち、手前側は晩餐を用意する人々や猫や犬、静物が写実的に描かれ、現実と幻想の入り混じった描写に、ティントレットの特色が明確にあらわれています。


「5月31日にあった主なできごと」

1596年 デカルト誕生…西洋の近代思想のもとを築き、「コギト・エルゴ・スム」(われ思う、ゆえにわれあり)という独自の哲学で「哲学の父」とよばれたデカルトが生れました。

1809年 ハイドン死去…ソナタ形式の確立者として、モーツァルトやベートーベンに大きな影響力を与え、104もの交響曲を作ったことで知られる古典派初期の作曲家 ハイドン が亡くなりました。

1902年 南アフリカ(ボーア)戦争終了…ダイヤモンドや金の豊富な、オランダ人の子孫ボーア人が植民地としていた南アフリカをめぐり、10数年も小競り合いをつづけてきたイギリスは、この地を奪い取ることに成功。8年後の1910年「南アフリカ連邦」を成立させました。

投稿日:2012年05月31日(木) 05:10

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)