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「社会党内閣」 と片山哲

今日5月30日は、明治・大正・昭和にわたって活躍した社会主義者で、日本社会党の初代委員長を務め総理大臣となった片山哲(かたやま てつ)が、1978年に亡くなった日です。

1887年、和歌山県田辺市に生まれた片山は、熱心なキリスト教信者だった母の影響を受け、少年時代からキリスト教人道主義の立場から社会主義運動を展開する安部磯雄に傾倒しました。第三高校(現京都大学)を経て、東大法学部を卒業すると、郷里に戻って弁護士として活動をはじめました。1919年には、東大内にあるYMCA寄宿舎の一室を借りて「簡易法律相談所」を開設し、当時一部の人たちのものだった法律を、多くの国民のものにするための行動や、労働争議にかかわる諸事件を手がけました。

1928年に男子普通選挙法が制定されると、片山は穏健な労働者や農民たちで組織した「社会民衆党」の結成に参加し、書記長に就任しました。1930年の第2回普通選挙に神奈川2区から立候補して、衆議院議員に初当選します。1932年には「社会大衆党」の結成に参加し、同党では中央執行委員会の委員などを務め、1940年には反軍演説をした斎藤隆夫の除名決議に反対し、安部磯雄らと社会大衆党を脱党しました。

1945年の第2次世界大戦後、「日本社会党」が結成されると書記長に就任、翌年に片山は、日本社会党初代委員長に選出され、1947年の新憲法のもとで行われた最初の衆議院議員選挙で、日本社会党が143議席を獲得して第一党となり、民主党・国民協同党と連立内閣をつくりあげました。これは、日本で初めての社会主義者を総理とする内閣でした。

政権としては、国家公務員法の制定、内務省の解体、警察制度の改革、労働省の設置、失業保険の創設、改正民法の制定、刑法改正などを実現しました。しかし、公社や公団を乱発するなど公的融資を拡大したと労働運動家たちからの反撃にあっていきづまり、1948年2月に総辞職しました。さらに、1949年1月の衆議院議員選挙で、日本社会党は前回の143議席から48議席に激減する大敗をきっし、委員長だった片山も落選したばかりか、1950年に、日本社会党は「右派」と「左派」に分裂し、委員長を退きました。

1952年の衆議院議員選挙で「右派社会党」から立候補して国会復帰をはたした片山は、憲法を守る運動や選挙の浄化運動に取り組みました。1960年に社会党から民社党が分かれると、1963年の衆議院選に「民社党」から立候補するものの落選して政界を引退しましたが、1966年にはキリスト者世界連邦協議会会長となるなど、晩年は平和運動に貢献しました。


「5月30日にあった主なできごと」

1265年 ダンテ誕生…イタリアの都市国家フィレンツェに生まれた詩人で、彼岸の国の旅を描いた叙事詩『神曲』や詩集『新生』などを著し、ルネサンスの先駆者といわれるダンテが生まれました。

1431年 ジャンヌダルク死去…「百年戦争」 でイギリス軍からフランスを救った少女ジャンヌ・ダルクが 「魔女」 の汚名をきせられ、処刑されました。

1912・48年 ライト兄弟死去…動力をつけた飛行機で、1903年に人類初の飛行に成功したアメリカのライト兄弟の、兄ウィルバーが1912年に、4歳下の弟オービルが1948年に亡くなりました。

1934年 東郷平八郎死去…日露戦争の日本海海戦を指揮し、ロシア艦隊を破ったことで「東洋のネルソン」と讃えられた東郷平八郎が亡くなりました。

投稿日:2012年05月30日(水) 05:38

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)