「おもしろ古典落語」の68回目は、『こんにゃく問答(もんどう)』というお笑いの一席をお楽しみください。
上州(今の群馬県)の安中にあるこんにゃく屋の六兵衛さんは、若いころ江戸で親分とか、兄ぃといわれた人でした。昔の縁で、江戸からやってきた者が顔を出します。もともと世話好きですから、ひと月でもふた月でも置いてやるので、居候がごろごろしています。
「おい、八公、ちょいと来い。おめぇに話があるんだ、そこへ座れ」「へぇ」「ほかでもねぇ、おめぇ家へ来てから、かれこれふた月だなぁ」「早いもんですねぇ、もうそんなになりますか?」「そこでだ、いてもかまわねぇが、仕事をしろ。坊主にならねぇか」「えっ、坊主?」「村はずれに、寺があるだろう…薬王寺っていう寺なんだが、住職が死んで、寺男の権助が一人いるだけなんだ。村の長(おさ)から、住職になる人を探してくれって頼まれてるんだ」「ようござんすが、あっしは経なんぞ、できませんが」「経なんざ、いろはにほへと…ってのを知ってるだろ、節をつけて、長ったらしくいえばいいんだ」
八五郎もどうせ行く当てのない身、薬王寺の和尚になりすましました。2、3日はおとなしくしていましたが、だんだん本性をあらわし、毎日大酒を食らっては、権助と二人でくだを巻いています。「葬式でもねぇ日にゃあ、坊主の干物ができちまう。どこかに、死にそうなやつはねぇのかい」「そりゃ、病人がないわけじゃありませんが」とやってるところへ、玄関で「頼もう…」と声がします。権助が出てみると、あじろ笠を手にした坊さん。越前永平寺の僧で托善(たくぜん)と名乗り、諸国行脚の途中に立ち寄ったが、看板に「葷酒(くんしゅ)山門に入るを許さず」とあるので禅寺と見受けた、ぜひご住職に一問答お願いしたいといいます。
八五郎にはなんだかわけがわかりませんが、権助がいうには、「なになには、いかに?」と向こうから聞いてくるので、こっちで「なになにのごとし」と答えるのが問答。この問答に負けると如意棒でぶったたかれた上、寺から追い出されるとのこと。住職は留守だと追っ払おうとしましたが、しからば命のある限り、毎日やってくるといいます。大変な坊主に見こまれたものだと、八五郎が逃げ支度をしているところへ、やって来たのがこんにゃく屋の六兵衛。事情を聞いて、オレが退治してやろうと身代わりを買ってでます。「問答を仕掛けてきたら黙ったままでいるから、和尚は目も見えず口も利けないといえ。それでも承知しやがらなかったら権助、大釜へ湯をわかしといて、野郎の頭からぶっかけろ、それを合図に卒塔婆かなんかで、むこうずねをかっぱらえ」「うふっ、こいつはおもしれぇや、けんかとくりゃ、こちとら慣れてるからね、死んじまっても裏にゃ、墓場もあるし…」
さて翌日。住職になりすました六兵衛と托善の対決がはじまります。「法界に魚あり、尾も無く頭もなく、中の支骨を保つ。大和尚、この義はいかに…」六兵衛もとより何にもいいません。托善は、無言の行だと勘違いして、しからば拙僧もと、手で○を作ると六兵衛、両手で大きな○。十本の指を突き出すと、片手で五本の指を出す。三本の指を出すとアッカンべー。托善、「恐れ入りました!」と逃げだしました。
八五郎が追いかけてわけを聞くと「当山の大和尚は博学多知識、なかなか我らの及ぶところではござらん。『天地の間は』と手で○を作ると『大海のごとし』と両手で大きな○のお答え。『十方世界は』と十本の指を出すと、『五戒で保つ』と片手で五本の指を出された。『三尊の弥陀は』と三本の指を出すと、『目の下にあり』。いやー恐れ入りました。両三年修行をなしてまいります」
六兵衛いわく「あの野郎はちゃんとした坊主じゃねぇ、ここいらをうろついてる乞食坊主に違いねぇ。馬鹿にしやがって、オレがこんにゃく屋だってぇことを知ってやがった。指で、てめえんとこのこんにゃくは、これっぱかりだってやがるから、こぉーんなに大きいといってやった。十丁でいくらだと値を聞いてきやがったから、五百文だっていってやったら、三百に負けろってぇから、
……アッカンベーをしてやった」
「5月9日にあった主なできごと」
1903年 ゴーガン死去…ゴッホやセザンヌと並び、後期印象派の代表的な画家として評価の高いフランスの画家ゴーガンが亡くなりました。
1994年 南アに初黒人大統領…アパルトヘイト(人種隔離)政策が長くすすめられてきた南アフリカ共和国に、国民全体が参加した選挙で、人種差別とたたかってきた黒人解放運動の闘士マンデラが大統領に選出されました。