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「初アフリカ横断」 のスタンリー

今日5月10日は、アフリカで遭難したリビングストンを発見したことや、初めてアフリカを横断したことで有名なジャーナリスト・探検家のスタンリーが、1904年に亡くなった日です。

1841年、イギリス・ウェールズ北部のデンビーに私生児として生まれたスタンリー(幼名ジョン・オーランズ)は、2歳の時に父を亡くし、母は育児を放棄したため5歳まで祖父の元ですごしたのち、10年近くも孤児院で暮しました。しかし、あまりに乱暴な監督に反抗して脱走、新しい天地を求めてアメリカにわたり、ニューオーリンズでヘンリー・スタンリーという商人の養子となり、その名をもらい受けました。

その後、南北戦争では南軍に参加して戦いましたが、戦後はいくつかの新聞や通信社の契約記者となって、国内からヨーロッパやアフリカをまわって、政府軍とインディアンとの戦い、イギリスとエチオピアとの戦いなど、次々とヒット記事を書いて有名になりました。

1867年ころ、ナイル川の水源探検にむかって消息を絶ったイギリスの宣教師で探検家のリビングストンが話題になっていました。『ニューヨーク・ヘラルド』社主からリビングスト探索を要請されたスタンリーは、大変な苦労のすえ、1871年タンザニア西端にあるタンガニーカ湖畔でリビングストンを発見し、感動的な対面をはたしました。翌年、「ニューヨーク・ヘラルド」と「デイリー・テレグラフ」に、手記『リビングストン発見の旅』を公表すると、世界じゅうに報道されて最大級の称賛を受けたのでした。

1874年、「ヘラルド」と「テレグラフ」両新聞に要請されてスタンリーは、インド洋岸から、アフリカ大陸中央部のビクトリア湖、アルバート湖を経て、1877年に大西洋岸コンゴ川河口に到着し、アフリカ横断に成功しました。1000日もかけたこの冒険記録は、『暗黒大陸横断記』に著し、再び絶賛されました。その後スタンリーは、ベルギー王の依頼を受けてコンゴ地域へ行って「コンゴ自由国」を建設したり、探検によるさまざまな発見をしています。

当時欧米人たちは、アフリカ大陸の海岸地方しか知られていませんでした。スタンリーの探検記録をきっかけに、アフリカ奥地まで開拓され、やがてヨーロッパ諸国による植民地の奪い合いとなっていったのは皮肉なことでした。


「5月10日にあった主なできごと」

1863年 下関事件…長州藩は下関海峡を通るアメリカ商船を攻撃しました。これが下関事件です。これは、孝明天皇の命により14代将軍徳川家茂が5月10日を攘夷期限と奏上したことに呼応したもので、他に実行する藩がありませんでした。長州藩はフランス艦、オランダ艦にも発砲、6月1日には米・仏艦が報復攻撃に来航するなど、長州藩は苦境に立つことになりました。

1871年 円誕生…近代日本貨幣法として「新貨条例」が制定され、「円」が誕生しました。円の100分の1を「銭」、現在はほとんど使われませんが、銭の100分の1を「厘(りん)」とすることも決められました。

投稿日:2012年05月10日(木) 05:23

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)